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旅立ちの日に


身に覚えのない疲労が全身を襲って、身体中が重かった。最終選別で初めの鬼に遭遇したかと思えば、いつの間にか善逸は眠りに落ちていて、何故だか藤の花に囲まれた場所で目を覚ましたのだ。足の痛みの他にはまだ痛む頬が微かに熱い。

「(なにか、懐かしい夢を見た気がする……)」


考え事をしているうちに、自分の家が見えてきた。もう日が暮れるというころで、空全体が赤みがかっている。普通ならば綺麗だという感想を抱くはずなのに、さっきまでいつ命を落としてもおかしくない状況の中にいたせいか別のものを想像してしまい、とてもそうは思えなかった。


「……じいちゃあん、なまえちゃん……」

もう足は限界だった。全体の筋肉を酷使したそこはちぎれてしまいそうなくらいの痛みを生んでいた。家が見えてきて安心してしまったせいか、善逸はひとりその場に崩れ落ちた。そしてじわりと目が熱くなったのを感じた。

(うっ、うう、いたい、いたいよもう、おれのあし今どうなってんの? ちぎれそうだよこれ、)


ぽろぽろと涙の粒がもう使い物にならない膝を濡らす。もう目に見える距離に家があるのに、ここで一晩眠ってしまいたいと思いたいくらいだった。

(なまえちゃんのご飯が食べたい、あったかい布団の中に入りたい。……爺ちゃんに会いたい)

とうとう泣き崩れた、そのときだった。




「善逸くん!!」
「へあっ」


本当に、いきなりのことだった。後ろから何かが落ちて地面に叩きつけられた音がしたと思ったら、後ろから暖かい人肌の感覚。そして首の辺りにぽたぽたと落ちてきた、温かい液体。首に回された腕を覆う着物の柄は間違いなく、なまえのものだった。

「よかった、よかったあ」
「なまえ、ちゃん、どうしてここに」
「よっよかった、ほんとうに、ぜんいつくん、おかえりい」

ひっくと嗚咽しながら、なまえは善逸の肩を後ろから抱きしめる。ぎぎ、と少し首を回すと、その視界の隅には、なまえが落としたと思われる薪の束が地面に散乱していた。

「(そうか、風呂を焚く用の薪が切れたから、外の小屋へ取りに行ってたんだな)」

小屋というのは、家から少し離れたところにある、薪を保存している倉庫のことだ。そこの周りは木が多くて、日中でも完全に日陰になる場所だった。つまりその範囲ならば昼間でも鬼が行動出来てしまう。だからいつもは善逸か、ごく稀に獪岳がなまえの代わりに薪をそこへ取りに行っていた。しかし獪岳はもう旅立ち、善逸も選別に行くためここには居られなかった。だからなまえはたった一人で小屋へ薪を取りに来たのだろう。おそらく桑島は止めただろうが、なまえのことだから大丈夫だと押し切ったに違いない。

「……なまえちゃん、」
「なあに、ぜんいつくん」


心底幸せそうになまえは返事をする。涙を流しながらも、柔らかくて優しい笑顔。善逸が今一番欲しかったものがそこにはあった。


「……ただいま」





***


「行ってらっしゃい、善逸くん」

「なんで! なんで!? 二週間前にただいまって言ったばっかりじゃん!」


善逸は目をかっと見開いて、なまえに詰め寄った。見慣れない詰襟の隊服は軍人のようでなまえは素直に格好良い、と思っていた。が、問題は着る人間のなんともおぞましい表情である。目がとび出そうなくらい見開かれた瞼に、滝のように流れ出ている涙と鼻水。腰には刀を下げて、格好だけはきりりとした侍そっくりなのに。
十日ぶりのなまえとの再会の後、善逸は望んでいた暖かい飯にありつけた。それと同時に、初めて善逸は師匠の笑顔を見た。一瞬だったけれども、善逸にとっては衝撃的な出来事だった。ただし桑島が言っていた 「選別に生き残れたのはお前の努力の成果だ」 という台詞には全く納得が出来なかったし、ついでに次の日から体が鈍らないようにとさらに厳しい修行をさせられたのだが。足もまだ完治していないのに、という善逸の絶叫はこの二週間で何回も聞いた。

昨日の、眩い黄色に変化した善逸の刀の刀身を見て 「きれいね」 と笑ったなまえの姿が頭をよぎる。あの笑顔の対価がこれだなんて、本当に見合っているのだろうか。……いや、見合っていると信じよう。きっとあの笑顔は何かしら自分のためになってくれたに違いない、と。いや、それでも、


「やっぱり嫌だよおおお」
「お手紙送るから、ね? 大丈夫」
「嫌だよオオオオン」

聖母のように優しい笑みを浮かべているなまえの膝に善逸は縋りついた。そばにいた雀が呆れたようにチュン、と鳴いた。

「ほら、もうすぐ桑島さんが来ちゃう。早く立ち上がらないとまた叩かれるよ」
「うう……」


選別のときにはじんじんと腫れていた頬も今ではすっかり元通りに治っている。しかしその痛みは一生忘れないし、もちろん二度と叩かれたくない。善逸はしぶしぶなまえの膝に縋り付くのをやめて、ふらりと立ち上がった。いざ桑島がやって来ると、嫌々善逸はビシっと背筋を伸ばした。

「訃報が来るような真似だけはせんでおくれよ」
「怖いこと言わないで!!」

善逸は絶叫した。しかしいつもなら即座に飛んでくる拳骨が、今日は来ない。無意識に閉じてしまった目を恐る恐る開くと、そこにはさっきと変わらず腕を組んで呆れ顔をしている桑島が立っているだけ。驚いて何も言わない善逸に、桑島は 「何をぼーっとしておるんじゃ」 と小言を漏らすと、懐から何かの包みを取り出した。

「なにこれ?」
「お前の雀じゃ、手紙を届けようにも重いじゃろう。これは普通の紙よりも軽いから、手紙を送る時はこの便箋を使うと良い」
「……なんか、これ……」

分厚くない? と善逸は言った。百枚この包みの中に入っているんじゃないかというくらいだ。しかしこれは通常の紙よりも軽いらしいから、この重さならきっとそれ以上入っているだろう。肩に乗っている雀が嬉しそうにチュンチュンと鳴いているのとは裏腹に、善逸はただただ苦笑いを浮かべていた。

「そりゃあ暫くはここに帰って来れんからな」
「俺死ぬよ」
「縁起でもないことを言うんじゃない!」

桑島の怒号に善逸はひい、と小さな声を上げた。もうこの声を聞くのも最後になるのかもしれない、と頭の片隅で思った。

なまえは怒鳴ったせいではあはあと肩で息をする桑島の背中をさすると、善逸の方へと向き直った。

「善逸くん、貴方は選別のときだって生きて帰って来れたじゃない。きっと大丈夫」
「ほんとに? ほんとにそう思う? 気休めじゃない?」

「……ええ」


なまえは震える善逸の手をきゅ、と包み込んだ。沢山刀を振って、皮が厚くなった強い男性の手。一方なまえの手は、善逸から贈られた椿油のお陰か、手荒れなどは一切無く、すべすべと手触りが良くて白魚のように美しい手だ。

「行ってらっしゃいませ、鬼狩りさま」

そう一言だけ言うと、なまえは手を解いた。善逸は少しの間真っ赤になって固まっていたが、やがてふにゃりとした笑顔を見せて、

「行ってきます、なまえちゃん、爺ちゃん」



黄色い羽織を靡かせながら小さな歩幅で一歩一歩を進んでいく背中を、桑島となまえはその姿が見えなくなるまで、いつまでもずっと見つめていた。



2019.6.23