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彼岸花が似合いませんように 前


※獪岳が出ていった後のお話






「おはよう、善逸くん」

この子はいつも俺を起こすとき、こう声をかける。たとえ俺が目を閉じていても。俺は耳が良いから、自分の足音だけで俺が起きてしまうということをこの子は理解していた。でもね、俺が気持ちよく起きられる音はなまえちゃんの音だけなんだってことは知ってる? いや、もちろん爺ちゃんの怒鳴り声でも起きられるけどさ、それは良い目覚めとはとても言えないだろ?

「……おはよう、今日は早いね」
「?、そうかなあ」

体を起こして大きな欠伸をすると、なまえちゃんはくすりと面白そうに笑う。「着替え、置いておくからね」 と丁寧に畳まれた着物を俺の枕元に残すと、ぱたぱたと控えめな足音を立てて行ってしまった。きっと朝ごはんを作りに台所へ向かったのだろう。そう俺は特に気にも留めず、今日も泥だらけになるであろう着物に着替える。なまえちゃんはあまり自覚していないみたいだけど、やっぱり今日の彼女は少し起きるのが早い。

少し不思議に思いながら台所へ向かうと、いつもは背を向けてご飯を作っているはずのなまえちゃんの姿が見えなかった。爺ちゃんはいつもこの時間は朝の散歩に行ってるし。たまには一緒にどうかと、二人で行ってしまったのだろうか。それは酷くないか。俺この家に一人とか、ちょっと、いやかなり、寂しいんだけど。
そう思いながらなんとなくやることも無くて辺りを見回していると、不意にがたりと玄関の引き戸が開く音がした。それは爺ちゃんのそれよりも随分大人しい音で、俺はすぐになまえちゃんのものだと分かった。

「なまえちゃん!」
「!」

急いで玄関へ走ると、丁度下駄を履いて今にも外へ出ようとしているなまえちゃんの姿があった。彼女は焦った様子も見せることはなく、ただ不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの?」
「ど、どうしたのじゃないよ! どこに行くの!?」

寝起きからこんな大きな声を出すなんて初めてかも。そう思った。
なまえちゃんはそんな俺の声に驚いて目をまん丸に見開いている。だが、俺が必死になっている様子を見て、その後少し何かを考えている素振りを見せると、困ったようににこりと笑った。その目はまるで駄々をこねる子供を見るような目だった。

「……一緒にくる? 楽しいところじゃないけど」
「えっ、い、いいの?」
「……善逸くんなら、いいよ」

なまえちゃんは照れくさそうに笑った。なのにその声はどこか寂しそうで。いつもならこんなこと言われたらすぐに舞い上がってしまう俺なのに、彼女の表情を見ているととてもそういう気にはなれなかった。

***



なまえちゃんはほとんど獣道と言って良いような道をさくさくと進んでいった。もしかしたら、何回も来たことがあるのかもしれない。俺と違って普段なんの修行もしていないなまえちゃんは道を進むにつれて息が上がっていた。心配になって 「背負おうか?」 と聞いてみたら、「ううん、大丈夫」 と返された。そのときの彼女からはなんだか一心不乱な感じがして、俺はそれ以上何も言うことは無かった。なまえちゃんの荒い息は、だんだんと泣きそうな音になっていく気がした。

「……!」

暫く進むと、やがて少し開けた場所に出られた。涼しい風がひゅうと吹いて、靡いているなまえちゃんの髪がすごく綺麗だった。でも、そこに広がっていたのは俺にとっては衝撃的な光景だった。

「……お墓?」
「……うん」

その大きくて立派な墓石は、二つ並んで俺たちのことを出迎えた。荒々しい文字で“みょうじ”と刻まれているのを見て、そのお墓がなまえちゃんの両親のものだと分かった。きっとその字は爺ちゃんが彫ったのだろう。

「……ただいま」

なまえちゃんはゆっくりとした足取りで墓石の前に歩み寄ると、どこか力無くぺたりと座り込んだ。その声色はいつもと同じだけど、彼女の鼓動は早く、泣いているんじゃないかってくらい震えていて。俺はどうしようもなくやるせない気持ちになって、なまえちゃんの元へと駆け寄った。

「ごめんね、こんなところに連れてきちゃって」
「そんなことない。ここに来る度に一人で泣いてるなまえちゃんなんて想像したくないよ」
「……へへ」

やっぱり分かっちゃうんだね、と彼女は諦めたように笑う。
なまえちゃんはぽつりぽつりと俺にお母さんとお父さんとの思い出を語ってくれた。
一人っ子で寂しかったけれど、いつもお父さんが遊んでくれたこと。お母さんの料理が美味しくて、自分も料理を沢山教わったこと。ちょうど今日みたいに暑くて寝れない日でも、自分が寝るまで団扇を仰いでくれていたこと。
俺が経験したことの無い話ばかり。でもそれは間違いなく幸せな家族の話で、なまえちゃんは最後すっきりしたと言わんばかりに 「ありがとう」 と笑った。

「……ここに来ると、いつも思い出すの。善逸くんと初めてお喋りした日のこと」
「ああ……!」

懐かしいと思う。俺が“なまえちゃんの鬼狩りさまになる”って約束した日。頭に花冠を乗せた彼女のなんと可愛らしいことか。初めて見せてくれた笑顔はどこか儚くて、きれいで。俺はあの瞬間をきっと忘れることはないだろう。

「あの時は、早くお母さんとお父さんに会いたかった。でも今は、もっともっと、お婆ちゃんになるまで生きたい。その後で二人に私の思い出をたくさん聞いてもらいたいの」
「……」
「そう思えるようになったのは、善逸くんのおかげなんだよ」

それは俺に話しかけているように見えて、目の前の両親にも話しかけているように思えた。なまえちゃん、そういうことは割と照れずに言えるよね。俺はこんなに、今にも蒸発してしまいそうなくらい顔が熱くて仕方ないのに!

「……あはは、善逸くん、顔まっかだよ」
「なまえちゃんのせいだかんね!」

赤面しながら眉を釣りあげてなまえちゃんを指差す俺の姿は、彼女自身から見たらひどく滑稽に見えただろう。余計に恥ずかしくなってくる。でも珍しく笑い声を上げている彼女を見ていると、すぐにどうでも良く思えた。

このときの俺たちはいつもの朝ご飯の時間がとっくに過ぎていることなんて、まだ知る由もなかった。





2019.10.31