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実はちょっとした頼みがあるんですが、とフーゴさんに声を掛けられたのは、丁度玄関ですれ違ったときで、なんとか今の生活にも少しずつ慣れた……というか、慣れさせられた、という頃のことだった。


「ナランチャに勉強を教えてやって欲しいんです。実は用事があったのを忘れていまして」
「わ、私が? 勉強はそんなに得意じゃないんです」
「あいつは今七の段で躓いてます。筆算の繰り上がりも」
「ああ……」

ごめんなさいナランチャさん、と思ってしまったのは秘密である。
なんでもフーゴさんは定期的にナランチャさんの勉強を見てあげているそうだ。しかしあまりにもナランチャさんの覚えが悪いために、アジトや行きつけのリストランテが悲惨なことになってしまうのは日常茶飯事だった。私もあのフーゴさんの言動に何度恐怖したことか! だから私はこのフーゴさんの頼み事を断ることなど当然できず、彼の方も私が断れないことを十分把握しているようで、返事をする間もなく、彼はじゃあ頼みますよと、ドアを開いて外へと出ていってしまったのだった。







「……と、そういうわけですので……今日は私がナランチャさんの勉強を見ることになりました」
「はぁ〜? フーゴの奴、約束は守れよなァー!」
「……」


そう言って行儀悪くテーブルに足を掛けるナランチャさんは、鼻の下で鉛筆を挟んで椅子を揺らしている。たぶん彼のことだから、まだ入団したばかりで元一般人の私に何かを教えられるということが嫌なのだろう。でも基本的に彼は良い人だ。私が最初に打ち解けた人。こちらは私が一般人だったというのが彼に警戒されない理由になったから上手くいった。やはりどんなことにもメリットとデメリットがあるのだと痛感するばかりである。

「ええと、フーゴさんによると“宿題”を出していたとのことなんですが……」
「ゲッ」
「(あ、これはやってきてないな)」

一目瞭然だ。これは、仕方ない。一緒に宿題の範囲もやってしまおう。

「……じゃあ、一緒に終わらせましょう。宿題だったのは何ページですか?」
「……ここ」

ぺらぺらとナランチャさんはドリルのページを捲った。そこは見事に真っ白で、折れ曲がったり鉛筆で汚れていないところを見る限り、開いてすらいなかったのだろう。でも彼の習っている場所は小学校低学年程度なのもあって、問題数が少ない。これならすぐに終わるだろう。もちろんこんなこと、彼に言ったら私は一瞬で嫌われてしまうだろうけど。

「……ええと、まず7+5はいくつです?」
「……じゅ、12?」
「そうです! では3+4はどうですか?」
「7だ」
「正解です。12は繰り上がるので、その十の位の1と、7を足せば、答えの十の位は分かりますよね。一の位はそのまま2なので……」
「82だ!」
「そう! そうです! だから37+45は82です」

おお! とナランチャさんは感激した声をあげて、さらさらと答えを書き出した。思ったよりもスムーズだ。フーゴさんがいつもあんなに怒っているからどれほどなのかと少し不安だったけど、それはあの人が少々……いやかなりの短気だった、ということだろう。この調子でさっさとやっちまおーぜ! と元気よく言う彼に、私はハイ、と控えめに返事をしたを




***


結局フーゴさんからの宿題は無事やりきることが出来た。終盤は繰り上がりの数が大きくてどうなることかと思ったが、丁寧に教えてあげればちゃんと分かってくれるし、というか、彼は地頭はかなり良いと思う。ピンチのときも機転が利くし、そこは本能というか野生の勘というか、そんなものなのだろうか。私には全く備わっていないので全く分からないけれど。

「やっと終わりましたね……少し休憩しましょう」
「だな。あ、それならオレンジジュース持ってきてよ」
「はい」


こういうのは日常茶飯事だ。というか彼は先輩だし、当然だ。私が普通に学生だったころもそうだったもの。

冷蔵庫の扉を開けると、オレンジジュースのペットボトルの中身はすでに少ない。これは新しいのも一本持ってきた方が良さそうだ。一方は軽いとはいえ抱えきれるかどうか不安だけど、まあおそらく大丈夫だろう。落としても余程のことがない限りボトルが破損することはないだろうし。そう思った私がペットボトルを抱え込もうとした瞬間、突然視界に横入りした人影にそれは奪われてしまった。

「どうして日本人てのは誰にも頼ろうとしねーんだ? 出来ない可能性が少しでもあるなら、存分に頼るべきだと思うんだがな」


人影の正体はミスタさんだった。彼はわざとらしく私の頭にペットボトルをコツンと当てた。キンキンに冷やされたボトルに額の温度が一瞬で下がったのが分かった。


「ま、そんなことより、ナランチャのとこにはしばらく行かないほうがいいぜ?」
「?、どうしてですか……」

ガラスの割れる音がしたのは、丁度そのときだった。その直後何かをテーブルに叩きつけるような音がして、私が恐れていたあの人がこちらにも響くくらいの怒鳴り声を発した。

「宿題をやってなかったなんてどういうことなんだッ!! しかも途中式は書けっていつも言ってんだろーがッッ」

「あっ」


途中式は全部私が言ってました。なんて言える雰囲気や勇気はどこにもなく、ただ私はその場に蹲るしかなかった。そして“今回は最初から宿題をしてこなかった彼が悪い”と自分に言い聞かせて、割れたガラスを掃除するための道具をこっそりと探しに行ったのだった。そんな私を、ミスタさんはにやにやとした笑顔で眺めていたのだった。




2019.6.23

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