どうして伝えたいこと程、上手く伝わらないのか。



先日、城下に出た際に名前によく似付きそうな簪を見つけた。漆塗りであろう艶やかなぬばたまの黒に、紅花がよく栄えた一品。思わず手に取り店主に声をかけられるまで見入ってしまっていた程に、上等な品だった。此れを、名前が付けたならば。どんなに可憐なことだろう。脳裏に思い描く空想の中の名前に、意識せずとも口元が綻ぶ。悩む必要もなく値を店主に問えば存外張らぬ値にまさか如何わしい筋からの品かと疑いもしたが、後に続いた「真田様にはお世話になってますからねえ、」その一言で疑念は霧散した。一応私事として訪れているため質素な着流しを身に纏っているものの、首にかけたままの六文銭で察しがついたのだろう。気をつかわせてしまったことを申し訳なく思いながらも半ば押し切られる形で―わざわざ小さな懐紙に包んだ干菓子と共に―包みを押し付けられてしまった。紅の結い紐で愛らしく留められた包みに視線を落とし、もう一度店主に礼をしてからその場を立ち去った―――足取りも、軽く。




「………どうか、されたのですか。幸村様」
「うむ、その、…だな」

ゆるり、首を傾け此方を見遣る名前を目前に咥内で紡ぐ言葉を探るばかり。―嗚呼、また。己の不甲斐なさには嘆くばかりだ。先程までの浮かれた気分は何処へやら、今はまるで女子の如く後ろ手に持った包みを握り締め名前に言い出せぬまま、無情にも時は流れる。ただでさえ近頃戦が多く、名前とこうして過ごす時間は少ないと言うのに。その希少な時間を、他の誰でもない、俺が。こうして浪費していることを情けなく思いつつ。ちらり、と名前を見返せば普段通り愛らしい姿で不思議そうにだんまりの俺を見つめていて。――嗚呼。

「…その、幸村様」
「なっ、なんで御座ろう!」
「……そ、そろそろ、夕餉の刻ですので、厨房の様子を見に行かなくてはいけないのです、が…」
「そ、それは、…すまぬ。邪魔を、してしもうたな」
「いえ、そんなことは…!」

本来、正室である名前は夕餉を気にかける必要など微塵もないのだが「食すものの管理くらいは自分でもしたい」との申し出からこうして夕餉の刻には侍女を手伝いに厨房へと向かう。日の傾き方を見れば得心がいきならばと名前と襖を隔てる俺はどこうとした。―矢張り、今日も無理だったか。ほう、と溜息を零す。どうやらこの品も戸棚の肥しになりそうだ。

「…あ、幸村様」
「い、如何なされた?」
「…本日の夕餉は、共にされるのですか?」
「ああ、そのつもりに御座る。お舘様にもたまには共にしてこいと…」
「そうですか、でしたら準備が整いましたらお呼びしますね。…あの、それと」

襖を開いたところで立ち止まり、こちらに振り返る名前。後ろの庭から色づき始めた梅が柔らかな色合いを見せる。名前の桜色の着物と相俟って、まるで一つの絵のように。手入れの行き届いた長い黒髪が、揺れて。

「…夕餉の後、幸村様の宝箱の中身が見たいです」

薄ら頬を染めて、柔く微笑む。失礼します、と呆ける俺に告げ厨房へと去っていった名前の真意に気付いたのは突っ立ったまま動かぬ俺に見兼ねた佐助が天井裏より声をかけてきた頃。―どうやら俺の戸棚の肥しは既に見抜かれていたらしい。恐らく、後ろ手に持った宝の一部も。―嗚呼、情けない。再び己を叱咤すると共に、擽ったいような感覚が胸のうちに仄かに広がった。紅色に色づく梅の花に視線を向け、ほんのり色を浮かべた名前の頬を思い出し、今だ手の内で眠り続ける簪を握り締める。――どうやら長年溜め続けた宝を明け渡す時は近い。

「…月が綺麗だ」


茜色の残滓が見える空に薄く浮かんだ月に呟いた。





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