「人、増えてきたね」
「―――ああ、はぐれぬよう気をつけねば」

一瞬遅れた返事に気づく様子もなく話を続ける名前殿の姿をちらちらと盗み見る。先程から心の臓が壊れそうなほどに高鳴っているその理由を、例えば佐助に知られたとしよう。
某をからかう時特有のあのいやらしい笑みを浮べながら、親指でも立てて見せるに違いない。
頬に集まる熱についこぼしそうになるため息を飲み込んで、いつもよりも歩幅の小さな名前殿に歩調を合わせることに集中する。どうか早々にこの鼓動が鎮まってくれぬものか。こんな調子では名前殿に不審がられてしまうだろうが。

(いやしかし、今日の名前殿はまた一層)

ぱちりと目が合ったと思えばやさしく微笑まれた。


……可憐でござる
「ん、なにか言った?」
「いやその、今日はいい天気でござるなぁ!」
「そう?今にも雪が降り出しそうだけど…」
「おお、どうりで冷えると……ははは…」
「なあに、変な幸村」

おかしそうに笑う名前殿を見て無意識に出しかけていた手を無理矢理引っ込めた。たとえ指一本でも触れようものなら自制心が崩壊する自信がある。
不甲斐ない己を胸中で叱咤しながら、名前殿に釘付けになりがちな視線を無理矢理徐々に増える人通りへ向けた時。


―――無機質な電子音。


それは某のふところにしまわれた携帯電話から発せられている。
名前殿に一言断ってから確認すると、佐助からの文であった。




2011/1/1 10:32
From 佐助
Subject 旦那!
――――――――
初詣デート楽し
んでる?
おしるこ作って待
ってるから、迷子
にならないように
ちゃんと二人で帰
っておいでよ。
それと、危ないか
らお賽銭は遠くか
ら投げ込まないよ
うに。
着物は絶対汚さな
いこと!


追伸……



まるで母親のような文面に内心苦笑しながら続きを読むべく画面を下げるが。

「ゴフッ!!」
「わ!どうしたの幸村!」

突然むせた某を名前殿が心配そうな面持ちで覗き込んでくるが、今はまともに顔を見ることさえできず必死でごまかす。
実際は大したことであった。佐助め、なんという破廉恥極まりない文章を送りつけてくるのか。折角意識せぬように頑張っておったというのに…。

「げほごほっ、んん゛!あー、少し喉の調子があの、その、アレでな。た、大した事ではござらぬゆえ」

普段の某ならば今すぐにでも電話を掛けこの所業について小一時間説教する所だ。

「大丈夫?ほんとに無理してない?」
「い、や…」

最後の一文のせいで余計意識してしまうが、しかし。例えいらぬ文を送りつけてきた佐助でもあやつだけを叱りつける資格など今の某にはない。
名前殿がついと手を上げるのを、どこか他人事のようにぼうっと見ている某の顔はきっと見るに耐えない間抜け面であろう。
某に触れてはならぬ。
平気だと言葉にしたくて開けた口から声は出ず、咄嗟に短く息を吸い込んだ喉がひゅうと小さく鳴った。


「さっきから変だよ。もしかして熱が、」


柔らで暖かい手のひらが頬に触れる感触。某を見上げる名前殿の瞳の中に某だけが映っているのを見た時、それまで“せめて指先に触れることができれば”などという考えを抱いていた自分を笑いたくなった。
考える間もなく頬に添えられていない方のか細い手首を引き寄せる。触れたくて仕方がなかった。

ここが人の行き交う往来だなどという事実は、某の頭から綺麗さっぱり消えていた。







旦那のことだから今頃必死で内なる己と戦っているに違いないんだけど、それじゃあ面白くないと思った俺様は今しがたメールを送り終わった携帯をぱたりと閉じて、ズボンのポケットにしまい込んだ。
目前で甘い香りをした湯気を放つ鍋の中身をかき混ぜながらご機嫌に鼻歌を歌う。
晴着姿の名前ちゃんが家に来た時の旦那の反応ったら、それはそれは可愛らしいものだった。

(ま、手を繋げたら上出来でしょ)

名前ちゃんによると二人きりで歩くのも照れるらしい旦那だが、付き合って一ヶ月は経つのだからそれくらいしたって罰は当たるまい。
もしも二人が手を繋いで帰ってきたら、いの一番にからかってやろう。
旦那が照れながら怒る姿を想像しながら味見をしようと小皿に手を掛けた時、しまったばかりの携帯がふるえた。

「はーいもしもし。今年も昨年に増して校内一イケてる男佐助様ですが、どちらさんでしょうか」
「テメーはどっからそんな根も葉もねえ自信が生まれてくるんだ。新年早々頭悪ィな」

電話越しにため息を吐くのは長曾我部の旦那だった。

「なに、まさか昨年と同様今年も自分が校内一さえないからって八つ当たりィ?新年早々気の毒な乳首だね」
「うぜえ果てしなくうぜえ。待ってろよ今から一発殴りに行くから」

ていうかおまえ今さりげなく乳首っつったろ、なんてギャアギャア喚いてるから面倒くさくなってきた。マジでなんの用なのこの人。

「こう見えても俺様忙しいんだよねえ。そんなに暇なら乳首でもいじってなよ
誰がいじるかァ!
つーかんな事どうだっていいんだよ!それより今、おまえんとこの赤いのが往来のど真ん中で、名前に、キ、キキ、キキキ―――」




まじですか。




通話を終えた携帯を再びしまい、もうじき帰ってくるだろう二人の茹でだこのようになった顔を思い浮かべる。俺様もしかして、火に油注いじゃった感じ?
苦笑いを浮べながら鍋で煮えるおしるこを一口味見してみた。


「甘いなあ」


兎にも角にもなんとめでたい新年か。旦那への言い訳と名前ちゃんへのフォローを考えながら、たった今帰宅した林檎のような頬をしているだろう二人を出迎えるべく玄関へと向かう。
まったく、今年もいい年になりそうだね。





(追伸…名前ちゃんの着物姿が可愛いからって道端で襲い掛かっちゃダメだよ)







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