稲GOss | ナノ




(拓→天+葵)



松風天馬が、体育の時間に怪我をしたそうだ。「そうだ」というのはもう一人の後輩の報告によってその事を知ったからだ。五限の体育の時間、野球をしていたところ、不運なことにクラスメイトが高々と打ったフライボールを追ってる途中、それはもう見事にひっくり返って足を捻ったらしい。(これは余談だが、外野であった彼が追っていたボールは勿論取られずホームランとなり、彼のチームは大敗したらしい。その一部始終を教室の窓から眺めていた倉間が大層ご機嫌に語ってくれた。)

正直、あの後輩と関わりたくなかった。それは同じ部活の、しかもキャプテンとしては失格なのだろう。しかし、彼に会うと、昔の自分を見ているようで辛かった。今をありのままに見つめて、その未来の可能性に希望を抱く無知な頃の自分が、あの後輩の後ろに見えるのだ。
重い足取りで保健室の扉に手をかける。しかし、力を入れる前に扉は開き、こちらと同じく驚いた顔をした女子生徒が目を丸くして立っていた。


「し、神童キャプテン!」

「…君は確か…」


空野葵です!ニコリと明るく笑う彼女は見覚えがあった。松風と一緒に入部したマネージャーだ。


「松風が怪我をしたと聞いたんだが、中にいるのか?」

「…あぁ!天馬なら、今寝てます」


どうぞ。そう言って、彼女は中へと入っていった。少し迷ったが、彼女に続いて中に入った。アルコールの匂いが漂うこの部屋は正直苦手だ。空気を吸うだけで、どこか身体が不調子になったような気分に見舞われる。保健室を見渡せば、どうやら先生はいないようだ。さらに肝心の松風天馬がいない。そこでふと、一つのベッドの脇に椅子が置かれている事に気づいた。空野に視線をやると、彼女は苦笑をして、そのベッドに歩いていく。


「…足を捻ったと聞いてたんだが……」


「そうだったんですけど……転んだ所を保健室の先生が見てたんですよ」


ほら、保健室の窓からグラウンドって良く見渡せるじゃないですか。釣られるように窓に視線をやると、確かにそこにはグラウンドが良く見える。下校する生徒や陸上部の練習風景がこちらからも良く観察できた。


「天馬、転んだ時に結構頭を強く打ってたんで、念のため寝ときなさいって先生に言われたんです」


これでも本人、渋ってたんですよ。部活に間に合わなくなるって。ため息混じりに吐かれた彼女の言葉に、自分の眉が寄るのを感じた。やはり、俺は松風天馬が苦手だ。


「あの…キャプテン、申し訳ないんですが少し天馬の様子見ててくれませんか?」


「…俺が?」


「天馬の荷物を取りに行きたいんです。この足じゃ多分今日は部活無理だと思うので…」


ああ、そういうことか。時計を見る。そろそろ部活が始まる頃だ。少しくらい遅れても、事情は知っているから三国先輩たちに任せても構わないだろう。
仕方ない。解ったと頷けば、空野はお礼を述べて扉に向かった。さて、どうしたものかと一つため息を吐く。すると、扉のところに未だ空野がいることに気がついた。


「…?どうしたんだ?」


「………あ、あの」


背中を向けた空野が、硬い顔でこちらを振り向いた。言いづらいことなのか、何度か視線を彷徨わせ、覚悟を決めたようにこちらに視線を合わせた。


「キ、キャプテンがあまり天馬を良く思ってないのは解ってます」


「っ、」


「でも…あの……、天馬の事、嫌いにならないで、下さい」


震えるソプラノの声が、なんともか弱く響く。それでもそこには優しさが滲んでて、彼女の性格が窺えた。


「ごめんなさい…変な事言って……」


「…いや、いいんだ」


君の言ってることは正しいから。安心させるよう小さく笑うが、彼女は複雑な表情で俯く。


「でも、一つだけ」


「は、い」


「……俺は松風が嫌いじゃないよ」


それだけは誤解しないでくれ。視線を上げた彼女は少し目を見張り、そして、安堵した顔をして頭を下げた。パタン。扉が閉まり、軽い足音が廊下に響き、小さく消えていった。

後に聞こえるのは、グラウンドから響く誰かの声と、小さな呼吸音。一歩、一歩とベッドに近づくと、白で統一されたベッドに茶色い髪が疎らに散らされている。その寝顔は実に穏やかで、何だかこちらが気が抜けてくるほどだ。椅子に腰掛けて、改めて様子を伺うと、松風の顔が意外にも整ってることに気付いた。スッと通った鼻筋に、未だ幼さを残す顔のライン。今は閉じられてはいるが、その奥には深い青が在るのを知っている。
そこでふと気付いた。松風の顔を、ちゃんと見たのはこれが初めてだった。それ程に自分はこの後輩の事を避けていたのか。内心で苦笑を漏らして、手を伸ばす。ゆっくりと触れた髪は柔らかかった。何だか不思議な気分だ。今、俺は松風天馬に触ってる。あの松風にだ。


「…嫌いなんかじゃ、ないんだ」


ただ、怖かった。お前を見る度、辛くて仕方がなかったんだ。その眼が自分を映すと己の惨めさが浮き彫りになった。その声を聞くと己の無力さを改めて実感させられた。
俺は逃げていたんだよ。お前から。何の柵もないその姿が俺には目映くて、焼け引き攣るこの心の痛みに恐れて、お前を避けてた。

穏やかな寝顔が疎らに歪んでいく。ごめん。俺はお前が怖いよ。でもそれ以上に惹かれてる。

これからも俺はお前から逃げ続けるだろう。時折憎んだり、疎ましく思うこともあるだろう。それがお前を傷付けるかもしれない。それでも許してほしい。俺にはその方法でしか自分を保てないから。


「…嫌いじゃないんだよっ」


誰かの足音がする。伝わることのない言葉が、好まないアルコールの匂いと一緒に溶けて、無くなった。




(嫌いじゃないの)
(むしろ、)





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