稲GOss | ナノ




(優+京(→天))


これの続き。




ガリガリ。なにかを引っ掻くような音が聞こえた。ガリガリ。ガリガリ。何もない空間で、響き渡るその音に薄ら寒さすら感じる。どこだ。どこから聞こえる。辺りを見渡すと、少し離れた薄暗い処にポツンと人影があった。背中を丸めて、座り込んでいる格好の誰か。ガリガリ。どうやら音の根源はそいつらしい。
やめてくれ。その音は気持ち悪い。人影に近づいて、訴えると、丸かった背中は伸びて、ケタケタと笑い始めた。気持ち悪い?それをお前が言うの?酷い奴だなぁ。自分よりも高く幼い声にはなんの感情も籠もってなかった。けれど、その声は知っているものだった。嫌になるくらいに、聞いてきた。
ボンヤリと暗かった視界が鮮明になっていく。真っ赤に染まった指先。茶色い癖毛。薄い背中。小麦色の肌。
振り返った藍鼠色。


「だってお前じゃないか。俺にこんな音を出させているのは」






「京介」


はっ、と視界が眩しくなった。慌てて顔を動かすと、兄の顔が心配そうにこちらを見下ろしていた。


「…兄、さん」


「大丈夫か?随分とうなされてたぞ」


凄い汗だ。そう言って細い手が額に張りつく髪を撫でた。夢。夢だったのか。荒い呼吸を繰り返して、はぁ、と溜め息が漏れた。


「ごめん…」


「構わないさ。部活帰りなんだから疲れてたんだろ?」


久しぶりに可愛い弟の寝顔を拝めたよ。からかうように笑う兄に頬が熱くなった。畜生。自分の醜態に額を押さえた。そんな自分の様子が可笑しいのか、兄は未だに笑い続けている。


「懐かしいなぁ。昔は怖い夢を見る度によく俺の布団に潜り込んでたよな」


「…いつの話だよっ」


「高々数年前の話さ。ほら、入ってきても良いんだぞ?」


ヒラリと掛け布団を捲ってみせる兄が憎らしい。余りの屈辱に言葉を失っていると、嘘だよ。と兄は笑って首を傾げた。


「どんな夢見てたんだ?」


「…そんな大したことじゃ」


ない。と言い切る前に先程の夢の映像が過る。指先を真っ赤に染めた藍鼠色。普段はあんなに表情豊かで五月蝿い奴の、あんなにも追い詰められた姿など見たことなかった。言い詰まった俺の様子を兄はいつものように静かな笑みを浮かべて見ていた。


「京介、悪い夢は他人に話すと逆夢になるんだそうだ。俺で良かったら聞くぞ」


細い指が髪を撫でる。小さい頃から兄が自分を落ち着かせる為にする癖。普段は恥ずかしくて、直ぐ様やめさせるけど、今はそれがひどく心地よい。
夢。たかが夢だ。話して兄に余計な心配を掛ける事もない。しかし、ちらりと視線を兄にやれば兄はすでにこちらを気遣うように眉を下げていて、嗚呼、下手に誤魔化せば逆にもっと心配させるだろうなと察し、溜め息を吐いた。
そうだ。これは何でもない夢の話なのだ。


「…ま…知り合いが、俺のせいで苦しんでるんだ」


「うん」


「どこもかしこもボロボロで、見てるこっちが辛くなる位に。苦しいならもうやめちまえば良いのに、全然諦めないんだ」


ずっと不思議だった。何故なのだろう。何故、こんな自分なんかをあいつはあんなにも追い掛けてくるのだろう。俺が振り向かない事を知ってて、それでも良いと笑って隣にいるんだ。
苦しくないはず無いのに。


「本当、何でなんだろう…」


「…京介」


いつしか夢の話は違うものにすり変わっていた。兄も何かしら察したのだろう。

こんな事言うつもるなどなかったのに、自分も思った以上に追い詰められていたようだ。
あれだけ見せまいとしていた兄にすら吐露する程に。


「…京介、それは夢の話なんだよな?」


「…え?」


「夢の話、だよな?」


突然問い掛けてきた兄の言葉に顔を上げると、再度問い掛ける言葉は先程よりも強めな音だった。まるで頷けと言葉の裏から命じているかように。
意図は解らないが、とりあえず素直に首を縦に振ると、兄は睨むような視線を緩めて、再び笑顔を浮かべた。


「そうか、夢の話か。なら俺が好き勝手に口出しても構わないわけだな」


細い指が離れる。それが少し惜しくて、反射的にその先を目で追うと、それはゆっくりと白い自分の手を握った。自分よりも温かな、愛しい体温。


「なあ京介。お前は小さい頃から意地っ張りだから、一度決めたことは頑なに妥協を許さなかったよな」


兄ちゃん、そういうお前に何度手間を焼いたことか。はぁ、と溜め息を吐く兄の声は呆れたような音だったが、表情からは嬉しさが読み取れた。兄はいつだって楽しい思い出話を語る。柔らかで幸福だったあの時間。一生戻らない日々。


「お前は真っ直ぐだ。だからこそ、様々な可能性を決して受け入れない。それが例え大切なものだろうと、妨げになれば容赦なく見捨てる」


厳し過ぎるんだよ。人一倍優しいくせに、自分に対しては容赦ない。俺はいつか、その事によってお前を大事に思ってる人が、何よりお前自身が壊れてしまうんじゃないかと怖くなる。


「もっと自分を甘やかしてやれ。苦しんでいると知っているなら助けてやれ。気付いているのに目を逸らす。それは罪だ」


握る手の力が強まる。こんなに細い指に、こんなにも強い力が備わってる。
俺が思っているよりも、兄は強かったのだ。


「お前は十分苦しんだよ。俺は、お前が幸せになって欲しい」


涙が、零れた。ずっと心に溜まっていたシコリが取れたように、酷く身体が軽くなる。幸せなんて、ずっと昔に捨てたものを兄は自分に望んでいるという。兄がだ。


「……に、いさん…」


「…不器用な弟を持つと、兄ちゃんは大変だよ」


兄が弟の幸せを願って何が可笑しいんだ。当たり前な事だぞ。涙を拭いながら、矢張り兄は静かに笑ってた。この人は強い。自分とは比にならぬくらい。動かぬ足を嘆いて、望んで止まないサッカーを取り上げられて、それでもその原因である自分を憎まず、幸せになれと言う。
きっと兄には一生適わない。ならば、少しでも兄の望みを叶えよう。それが自分に出来る唯一のことだ。


「…兄さん、俺行くよ」


「あぁ、行ってこい」


兄の笑みに応えて、立ちあがる。扉を開くと同時に、京介。と名を呼ばれて振り返った。


「知り合いって、友達の事なのか?」


「…いや」


大切な人だよ。そう答えると、兄は驚いたように目を見開いて、そうか。と酷く嬉しそうに笑った。
嗚呼、兄は笑ってくれるのだ。ずっと自分は何を強情になっていたのだろう。閉じた扉の前で立ち止まり、目をつぶる。


なぁ、まだ間に合うか?


ここにいない、小さな背中を想う。ずっと一緒にいてくれた。隣に寄り添って、支えてくれた。
信じます。そう強い瞳を向けてくれた相手に、やっとちゃんと正面から向き合える。


「…間に合わなくても良い」


今度は自分が追い掛ける番だ。嫌だと言われようと、拒絶されようとも構わない。傷つけた分、与えてやりたい。不器用て稚拙な、それでも精一杯な想いを全て伝えよう。


やっと大切なものがあげられる。その喜びに震えながら、焦るままに足を動かした。




(全身全霊を込めて)
(貴方に愛を捧げます)





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