稲GOss | ナノ




(京天)



掴んだ手は自分よりも少し小さくて、それでも強い力で引っ張っていく。松風。名前を呼ぶのはもう5度目。それでも頑なにこちらを向かずにズイズイと前へ進んでいく目の前の薄い背中にため息を吐いた。これも5度目。
ふわりと頬を撫でる潮風は秋の空気を混じらせて通り過ぎていく。繋いだ手も少し粘ついて、視線を泳がせば薄い空の色とは比にならぬほど深い青が広がっていて、嫌でもここが海なのだと知らされる。海鳴りが耳を掠る。何度も何度も。気づけば自分たちは浜辺でなく灯台の近くまで来ていて、岩で固められた灯台に続く一本道の防波堤の周りには海が広がっている。打つ寄せる波に、これは釣りには絶好のポジションだろうと、同じ部活である一人の先輩を思い浮かべた。
灯台の真下まで来たところで、やっと相手の足が止まった。真っ直ぐにこちらを見る強い目に呑まれそうになる。松風。6度目の名前を呼ぶ前に、ドンと強い衝撃と、回る景色。視界一面薄い青に覆われたと思うと、俄かに冷たい衝撃が身体中を包んだ。

ゴボゴボゴボ。何重もの気泡が上に上に上がっていく。どんどん沈んでいく感覚を感じて、やっと自分は海に落とされたのだと理解した。馬鹿野郎。なにしやがる。今11月だぞ。怒りも込めて、腹にしがみ付く松風を剥がそうと睨んで、瞠目した。青と幾重も上がる気泡の中で、藍鼠色がじっとこちらを見ていたから。腹に絡んでいた腕が解けて、代わりに頬を温かな人の手が包む。剣城。そう泡を吐きながら動いた唇が近づいて、触れた。冷たい海の中で、触れた人の体温が酷く心地よい。相手の向こう側から離れていく水面の光を見つめながら、何度も何度も啄む口付けに酔って、息苦しさも忘れて沈んでいく。
まるで、青い世界に体が融けていく感覚に陥った。




「……どうすんだよ。お前のせいでずぶ濡れだぞ」


海から上がったときにはもう日が沈みかけていた。青とオレンジが交ざり合って不思議な色を滲ませた空を防波堤に寝転がって見上げながら訴える。同じように隣に転がる相手は喉を低く鳴らして笑っていた。


「そのうち乾くよ」


「寒ぃんだよ。風邪ひくわ」


「なんとかなるさ」


「ならねぇよ」


会話しているうちに一日の疲れが身体中にどっと襲ってきた。鈍い重さに無意識に眉が下がる。帰ったら速攻で寝てしまおう。緩く目を細めて、霞んだ視界をぼんやりと眺めていると、そこにひょっこりと松風の顔が現れた。


「…んだよ」


「気持ち良かったでしょ?」


「はぁ?」


「ねぇ、何もなかったでしょ?」


泡と、青と、後は俺とお前だけ。ゴボゴボゴボ。包まれて、後はゆっくり沈んでいくだけ。何度も口付けて、触れた場所だけ温かくて、偶に泡を零して、青に融けて。


「殺されるかと思った」


「殺してほしかった?」


「…ああ」


それも悪くない。そう呟いたら頭を殴られた。突然の暴挙に相手を睨むと、松風は泣きそうに顔を歪めてこちらを見下ろしていた。


「馬鹿。死んだら意味ないじゃんか」


藍鼠はゆるゆると揺れて、溢れていく。嗚呼、零れる。と思うと同時にそれは零れ落ちて、ポタリと頬に落ちた。2滴、3滴、次々に落ちる雫が流れる。一筋が口内に流れる。

あの青と同じ味がした。




(ゴボゴボゴボ)
(君と沈む)





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