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(京天)



俺が元いたあの世界は至極シンプルなものだった。力さえあれば良い。力さえあれば、それなりの立場になれるし、口煩い奴らも黙らせる事が出来た。後は上からの命令を遂行するだけ。道徳を捻じ曲げて、目をつぶって、非情に振る舞って、ボールを一蹴り。それでコンプリート。任務終了。


しかし、こいつの前には力も、ましてや権威や建前すら無力に等しい。そんなのいらないよ。なんとも無いように放つ言葉の一つ一つに、以前の世界の常識が当たり前だと信じてきた俺にとっては衝撃的なものばかりだった。


「全部、全部いらない。だって、俺が欲しいのはもっと違うものだもの」


自分よりも小さな身体がぎゅうぎゅうとこちらを抱き締める。むしろしがみ付くと言ったほうが正しい気がする。高い体温が心地好く感じる一方で胸が捻られたかのように苦しい。ダランと力なく垂れた自分の手を伸ばしてやれば、きっとこいつは喜ぶのだろう。抱き締め返して、ただ一言、こいつが望む言葉を放ってやれば。


(…駄目だ)


分かってる。何をすれば良いのか。何を言ってやれば良いのか。全部分かってる。分かってるんだ。
それでも言わないのは、俺のけじめだから。
兄の人生を壊した自分は幸せになどなってはいけない。幼い頃に誓ったその決意はこれからだって変わらない。一時はサッカーにすら距離を作ろうとも考えたが、兄とのかつての約束を守る為、何より兄自身が許さないと訴えられてやめた。それが拍車を掛けて、一層決意は強かなものになった。許さない。認めない。例え想いが一緒だと知っていても。


握った拳を更に力をこめる。動いてしまいそうな手を制して、目を閉じた。未だしがみ付く体温が憎い。愛しい。


それならいっその事、突き放せば良い。相手が諦める位に拒絶して、近寄らさなければ良い。
それが互いに良い選択だと、そう思っているのに。


(これは俺の我が儘だ)


つるぎ。自分の名を呼ぶ辛そうな、小さな声が耳を擦った。
答えられないけど、傍にいてほしい。この体温が自分から離れていくなど、きっともう耐えられないだろうから。



(一番あげたいものが)
(あげられない)





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