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(京天)



南の空は深くて吸い込まれそうだった。滲んだ汗を、青い海からやってきた潮風が盗んでいって、痛いほど照りつける太陽は肌をゆっくり焼いていった。白い砂浜は柔かくて手触りが良いけれど、貝殻の残骸と太陽の熱で裸足で歩くことを拒んでた。海は怖いぞ。いつも砂浜で海を眺めていた老人は、深く被っていた麦わら帽子の隙間から鋭い目を覗かせて語ってた。海は気紛れだ。いつもは穏やかで優しいが、時に狂暴な一面を現して、ワシの大事な人を飲み込んじまった。お前みたいな餓鬼なんか、一瞬で飲み込んでしまうぞ。
じゃあ、なんで海をいつも眺めてるの。1度だけ、そう問い質した事がある。大事な人を奪った海を何故毎日飽きもせず見つめるのか。すると、老人は遠くを見つめながら、小さく呟いたのだ。

愛してるから、と。



「その時はよく解らなかったけど、今思えばそれってすごく難しくて、すごくすごい事だと思うんだ」


「…お前、何回すごいって言ってんだよ」


だってすごいんだもん。頬を膨らまして、背中に凭れ掛かってくる松風に適当な返事を返しながら、再び雑誌に視線を向ける。


「なぁ。剣城ちゃんと聞いてる?」


「聞いてる聞いてる」


「すごくない?だって愛してるって言ったんだよ?」


「すごいすごい」


生返事を返していると、更に体重を押しつけてきた。不満を語っているその態度を察し、そろそろ相手をしてやらないと面倒なことになりそうだと仕方なく雑誌を閉じた。


「…おじいさん、きっと時間が掛かったんだと思うんだ」


大切な人を奪っていった海。ずっと憎んで、ずっと許さなかったのに、毎日海を眺めていたのは、それでも海を愛してたから。
長い時間を掛けて紡げた言葉は、幼ながらに深く耳に残っていた。


「人は、ちゃんと最後は許せるんだね」


すごいね。背中から伝わる声は酷く柔らかだった。何も言わず、背中の熱を感じる。目を閉じた暗闇に一瞬だけ兄が過った。兄から足を奪った自分。その悲しみと苦しみに耐えられなくて、押しつぶされる前に自分はその矛先をサッカーに向けた。大好きだったサッカーは兄との思い出の象徴だった。それがいつからか歪み、憎くて憎くて仕方なくなった。いつしか、「兄から足を奪った自分」から「兄を奪ったサッカー」へと刷り変わっていたのだ。
俺は逃げていたのだろう。兄からも。サッカーからも。
そして、こいつからも。


「…今は」


「?」


「今は、きっとまだ無理なんだと思う」


背中の温もりが心地よかった。中途半端にしてるのは十分気付いていたし、それによってこいつが苦しんでいるのは知ってる。それでも自分の中はいっぱいいっぱいで、今の俺にはこいつを受け入れる余裕なんか無かった。
それでも、この存在を離したくなかった。


「もう少し、時間が欲しい」


「………」


「…だから」


傍にいて欲しい。だなんて勝手な事言えるはずなかった。
こいつにだってこいつの意志があるし、限界だってある。こちらの勝手な我が儘を押し付けるなんて、更に相手を苦しめるだけだ。自分の欲を言ってしまいそうな唇を噛む。
背中の熱が離れた。


「我が儘だなぁ、剣城って」


「、まつか」


「そんでもって、素直じゃないよな」


ぽすっ。再び熱が背中を覆った。振り替えれば、松風がこちらを向いてしがみ付いていた。


「いいよ。待ってる。だからちゃんと時間を掛けて答えを出してね」


中途半端はいらないから。ちゃんと熟させて、頂戴ね。
身体が震えた。こいつの優しさが怖かった。何故こんなにも寛容でいれる?苦しくないはずないのに。恐る恐る視線をやれば、松風はこちらを見て、嬉しそうに笑った。その瞬間、酷く泣きたくなる。解らない。でも、こいつは俺なんかよりも何倍も強いのだと分かった。手を伸ばして、茶色い頭を肩で抱く。背中の温もりがじんわりと染み込んでいく。このまま染み込んで、一つになれば良いのに。


海を眺める、名も顔も知らぬ老人は、今も海を見つめているのだろうか。
彼のように、自分も伝えよう。幼い時のように、こいつの耳に残るように、想いを込めて、音をを紡いで。

愛してると、必ず伝えよう。




(青味が消える)
(その瞬間まで)





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