稲GOss | ナノ
(京天)
大きな瞳からポタポタと涙を流し続けるそいつは、別に辛そうにしているわけでもなく、かといって悲しそうにしているわけでもない。ただ平然とした表情を浮かべて、部室の扉の前で突っ立っていた俺に「おはよう」と挨拶してきた。
「…なに」
泣いてんだよ。藍鼠の揺れた瞳が此方を映す。小さな沈黙の後、目の前の奴の口が微かに開いた。
「解んない」
「あ?」
「でも、うん。多分」
お前のせいだよ。放たれた言葉に目を見開く。俺のせいだと?今さっき現れたばかりの俺が、いつこいつを泣かせるような事をしたのだというのだ。こちらの顔から困惑の色を察したのか、天馬はクスリと小さく笑って、首を振った。
「ごめん。違うんだ。剣城が悪いんじゃないよ。俺のせい」
「馬鹿にしてんのか」
「ごめんって」
視界がぼやけているのか、何度も涙を拭う動作を繰り返す。しかし、それは止まる様子が無く、そろそろ他の部員達がやってくる時間だ。無意識にした舌打ちに、天馬は眉を下げて「ごめんってば」と情けない声を上げた。
「剣城って結構根に持つタイプだよね」
「違ぇよ。お前にじゃなくて…ああ、メンドくせぇっ」
荒い足取りで奴に近づく。殴られると勘違いしたのか、天馬は慌てて両手で頭を押さえる形を取った。これでは本当に俺がこいつを虐めているようだ。再度舌打ちをして、自分よりも焼けた手首を引っ張る。
「うわっ、剣城!?」
「出るぞ」
「なんでだよ?」
「ここで今他の奴らが入ってきたら、俺がお前を泣かしたみたいだろ」
確かに、と可笑しかったのかケタケタと笑い声を上げる奴に苛立ちを覚えるが、振り向いて拍子抜けする。笑ってるくせにポロポロと盛大に泣いているその姿は滑稽で、情けない。仕方がないので、とりあえず足を忙しく動かして、ここから離れる事に専念した。
無駄に広い雷門のサッカー塔は、使われてない部屋がいくつもある。他校が練習試合などで使われる控え室の中の一室を拝借して、掴んでいた腕を乱暴に放り投げた。うわっ、と声を上げ、奴がベンチに座った瞬間を見計らって片足をその横に立てた。ガンッと音を立てて置かれた足にビクリッと身体を震わせた天馬を覆い被さる見下ろす。涙は未だに止まらない。
「…で、何が俺のせいだって?」
「だ、だから違…」
「じゃあ何で俺の名前を出したんだよ」
ほら、言え。顎で相手を催促すると、天馬は観念したように小さく溜息を吐いた。
「…名前」
「名前?」
「剣城の名前をね、飲み込んだら」
涙が出てきたんだ。
随分と酔狂な事を言う。怪奇そうな顔をしてたのだろう。みるみるうちに奴の顔は赤くなっていく。それに加えて、涙の量も更に増え、まるで愚図るガキそのものだった。
段々と面倒くさくなってきた。いや、こいつは元々面倒くさい奴だった。意志は強いが、強過ぎて柔軟性が無い。しかも自分が正しいと思ったら頑なに引こうとしない。自分の感情に正直なのか、言わなくても良い事を吐くし、結構我が儘だ。
どんどんと出てくる松風天馬の特徴に、更に痛みだした頭を押さえ、ここは適当に対応して、早い事解決してしまおうと決め、口を開いた。
「あー…なんだ?お前は俺の名前を飲んだら涙が出てきたんだな?」
「…うん」
「じゃあ、吐き出してみれば?」
返した言葉に1テンポ置き、ガバッと顔を上げた天馬に頷いてやる。赤い顔が更に赤くなって、モジモジと躊躇い始める。早くしろよ。そう口を開く前に、決心したのか強い眼差しがこちらを映した。
「……京介」
これは。
ドクリと一際強く心臓が鳴った。あまりの不意打ちに、言葉がでない。ジワジワと熱くなる顔が憎い。きっと今自分は酷く情けない顔をしてることだろう。同じく真っ赤な顔を浮かべる相手と、馬鹿みたいに視線を合わせたまま、西園たちがこちらを探しに来るまで固まっていた。
涙は、止まっていた。
(呪文1つ)
(林檎が2つ)