時は夕方に差し掛かる刻。今にも雨が降り出しそうな曇天の下、数人の人影が樹々の群の中をひた走る。
一人は、犯罪組織の一員…赤砂のサソリその人。ツーマンセルが基本のその組織、彼の傍に着いて回る人間は想像に難くないが、今回はいつもと違う人間の模様。それ所か、彼の後を追従する影は二つある。
その二人とは、サソリの部下に当たる者。今回の任務は芸術コンビではなく、この三人の小隊で動いていた。

背後からは、その三人を追う忍が幾人。どうやら、名高い犯罪組織のメンバーの首を狙っての襲撃と見て取れる。
決して不利な立場ではない、相手の数も幾らか削いでいた。だが相手の方にこの地域の利があるらしく、上手く立ち振る舞わられ反撃の機会を逃してしまっていた。


「サソリ様、私が足止めとなりましょう。こう走らされていては、サソリ様も傀儡での反撃が…」

「相手を舐めるな、ヤツらは近距離戦に優れオレとの相性は最悪。安易に戦闘を持ち込めば、こっちが不利になり兼ねない」

「は…しかし、どう切り抜けられますか」

「上手い事複雑な地形に誘導されてるな…だが、逆にそれを利用する。お前ら、前方50メートルから100メートルの道を頭に刻み込め。…息を止め目を閉じて走るんだ」


サソリの手に握られたのは、手製の毒煙玉。走りを止めぬまま、ちらりと後方の部下達を窺う。アイコンタクトでの了承を得たのとほぼ同時に、サソリは地面に手の中の物を弾き捨てた。
紫の気体が辺り一面を包む。サソリ達は視覚を封じ走り続け、お互いの足音を頼りに前を進む。やがて煙の届かない場所まで走り終えると、漸くその足を止まらせた。
相手は追っては来ない。煙玉に撒かれ見失ったのか、はたまた毒の餌食となったか。上手く逃げ仰せた事に、サソリはふっと一息をつく。


「撒いた様ですね、流石はサソリ様です」

「……」


普段なら、こんな地面を蹴って相手から逃げるなど無きに等しい。いつもはアイツの粘土の鳥で回避するか、相手から攻撃される前に仕留めるか。
やはり部下と言っても、即席の小隊じゃ上手くいかねぇ…。

遠くで微かに雷の音が聞こえる。と、それを合図にポツポツと雨が降り出した。無数の雫に流される紫色の煙。過ぎた樹々の姿が静かに浮き上がっていく。
そこから人間の姿は確認出来ない。本当に追ってきてはいないのだろうか。煙の晴れた先を、サソリは注意深く見やる。

…と、その顔を緩やかに険しくさせていった。
そうだ…ヤツらは、オレ達より優れているんだ……この地の利に。


「ッ向こうか!」


煙の撒かれた地より三時の方向から放たれた殺気。サソリは敵にいち早く感づき、瞬時に三代目風影を出し磁遁を発動させる。
しかし、敵とサソリを結ぶ直線上には部下の一人が重なり、反応の遅れた部下は不運にもサソリの攻撃を敵よりも早くに掠めてしまった。


「ぐあ…っ!」

「っ!しまった…!」


伸ばされた砂鉄の針は見事に敵を貫いたが、部下の一人がその場に尻を着いて倒れ込む。
クソ…あの程度、アイツなら合図無しに避けてるってのに。
サソリの三代目の砂鉄には、その一つ一つに毒が染み込ませてあり、小さな傷でもそこに毒が入り込み、致命傷になり兼ねない。一刻も早く解毒剤を施してやらねば、今後の活動にも支障を来たす可能性がある。
サソリは直ぐ様部下の元に走り寄り、解毒の準備に取り掛かる。苦痛に呻く部下は、申し訳ありませんとサソリに詫びを入れた。


「じっとしてろ、オレの作った毒は回りも早い。動けばそれだけ解毒の効果に時間がかかる…」

「さ…サソリ様ァ!!」

「ッ!」


毒煙を免れた敵が、もう一人存在した。

部下が気付く前にサソリの背後から近付いた敵は、手に鋭利な武器を持ち、俊敏な動きで彼の命を狙う。
解毒準備をする手は塞がれている。三代目の磁遁発動はとても間に合わない。

鈍い光を放つ刃物は、サソリ目掛けて容赦なく降り下ろされた。




「オイラ…何であんな事言っちまったんだろう…」


しとしとと雨の降る内側の空間で、背中を曲げて自責の念に苛まれるは、芸術コンビの片割れデイダラ。
先日彼とサソリは、些細な喧嘩をした。
彼らの根本の思想である芸術理論の反りが合わない為、口喧嘩ぐらいは日常茶飯事。だが今回は、デイダラの虫の居所が悪かったらしく、つい思ってもない事を口からぶち撒けてしまった。


「アンタにオイラの何が分かるってんだよ!人間じゃねぇアンタに何がッ!!」


勿論、本心から言った言葉じゃない。
滅多に顔色を変えないあの人が、目に見えてその言葉に反応したから、言い放った直後に我に返って。それでも怒りの収まらない胸中で、謝るの二文字なんか浮かびもしなくて。
だけど頭を冷やし、その言葉がどれだけ彼を傷つけたのだろうかと考えると、猛烈な後悔が襲って仕方がなかった。

一度コンビを解消しようと提案したのは、サソリの方からだった。ここ数日は、単独の任務を中心にやってきている。尤も部下を従えるサソリは、複数人で遂行する任務もやってのけているらしいが。
暫く顔も合わせていない。これ以上長引かせれば、本当に謝るタイミングを見つけ出せなくなる。もうそろそろサソリが任務から帰ってくる頃だろう。
デイダラは決意を固めて、怖がる心を押し殺して、彼の帰還を待つ。




「……お前らはここまでだ、さっさと自分達のアジトに戻ってろ」

「しかし…サソリ様」

「ここから先は、暁のメンバー以外が踏み込んじゃいけねぇって知ってんだろう…、いいからソイツを早く安静な所に連れていってやれ」

「…すみません、失礼致します」



「痛…っ!……く…ぅ」

「…サソリの、旦那?」


デイダラが見たもの。それは、よく知る彼が力なく壁に寄り掛かり、小さな肩で荒い息を立てている姿だった。
今までの彼のイメージと遠く離れたそれに、デイダラは大きく瞳を揺るがせる。
か細い声を耳に入れたサソリは、聞こえた先を一瞥し、しかし最後はその場に崩れ落ちてしまった。それを合図に、跳ねる様に傍へと寄るデイダラ。


「旦那…、何、何で」

「デイダラか…、こんな無様な姿見せたくなかったんだが…」


サソリの体を支える為にその肩に手を置く。すると、雨で濡れ切った冷たい感覚の中に、生暖かい感触が神経を伝った。

これは…血?サソリの旦那から、血が?


「何で、だって旦那は…傀儡の体じゃ」

「……どうした、デイダラ」

「小南!っ旦那が…」

「…サソリ、任務から帰っていたのね。怪我をしたのか、直ぐに手当てを。デイダラ、サソリの肩を貸してあげなさい」

「あ…、…ああ」



サソリの受けた傷は、肉を裂くのに適した形状の武器の為傷が深く出血も酷かったが、致命傷までには至らなかった。安静にしていれば、数日のうちに動ける様になるとの事。
しかし、長い間雨に打たれていた所為か、熱を出しベッドで横にならざるを得なかった。
蝋燭の灯りで照らされる、サソリの汗ばんだ顔。苦しそうに息を吸い吐きするその姿を、沈んだ表情で見下ろすデイダラ。
サソリが横たわるその脇から、彼は梃でも動こうとはしなかった。


やがて、高熱に浮かされていたサソリも漸く意識を取り戻し、重たげにその瞼を開く。
静寂を通す室内と、己を包む温かな寝具。そして傍には、椅子に座りながら目を伏す見慣れた人間。


「…デイダラ」

「…ん…、…あ、さ、サソリの旦那!」

「オレは…一体」

「酷い熱でずっと苦しんでたんだぜ、うん。任務が終わってここに帰ってきてから、一晩経ってる」

「そう、か…」

「…タオル、温くなっちまったな。今取り替えるから。旦那はそのまま横になってろよ」


サソリの額を冷やしていた小さなタオルを手に取り、氷水の中を泳がせる。冷たさを取り戻したタオルを、もう一度サソリの額へ丁寧に乗せた。


「…もしかして、オレが寝てる間ずっと看ていたのか?」

「小南に頼み込んで、オイラが全部やるって自分から言ったんだ、うん。苦しんでる旦那にしてやれた事は、これぐらいしかなかったから…」

「……なんで」

「ごめん、旦那。あの時は…本当にごめん」



一置きの沈黙。
まだ怠さの残る頭で、彼の言うあの時を脳裏に浮かべるサソリ。


「…分かってる。あの言葉がお前の本心から出た言葉じゃないって事ぐらい」

「でもどうして、コンビを解消させたんだ?」

「お前にも気持ちの整理っつーのが必要だったろ、それを与えたまでだ」

「……」


彼は自分と比べて、何て冷静な人間なんだろう。
熱の中でも余裕の笑みを崩さない彼の顔を見て、デイダラはキュッと唇を噛みしめる。


「旦那は…大人だな」

「…!」

「オイラ、なんか自分が恥ずかしいよ…」

「…」


自分の未熟さに打ち拉がれる相方の姿を一瞥し、サソリは頭を動かしてそこから目線を外す。動いた拍子に額のタオルがずれ、サソリの伏し目がちの目元が影で覆われる。


「………ちげぇよ」

「…?」

「確かにお前の本心は分かってた。あの言葉を言った後直ぐに後悔した事も、顔見りゃ分かった。それでも…どっか心の奥底では、少しはショックだったかもしれねぇ」

「…ッ」

「この体になってたから尚更だった…。あの時お前を叱咤せずに離れようと決めたのは、ショックだった事を悟られない様に…それと二度と傷つかない為に」

「だ、旦那…?」

「我ながら口が達者だ…、自分の本心を見破られずに尚且つ自分自身を引き立てた別の理由をポンポン口から零すんだもんな。ここまでオレは素直になれねぇのかよ…」


今までになく、喋る事をやめないサソリ。熱の所為か傷口が痛む所為か。平常を失った彼は、尚も薄暗がりの中で閉ざす事なく話続ける。


「オレは大人なんかじゃねぇ。お前があの言葉を口にしてやっと思い出した、誰かを愛せば必ず悲しみも訪れる逃れられない摂理を。ガキの頃に散々思い知らされて来たってのに…いつまでも同じ間違いを繰り返す」

「だ、だん…」

「間違いを正す機会だと思った。本当はあの時…お前と離れてそれ以降二度と会わないと、決めたんだ」

「な…何言って…!」

「オレは知ってるんだッ!」

「っ!」

「誰か他の人間を愛せば、その愛した分だけの不幸が自分に降りかかるって…。あの時も、あの時もだ…。皆みんな、オレを置いてどこかへ行っちまう」

「…あ……」

「もうそんな思いするの嫌なんだ…あんな苦しくて…心が潰れそうに痛い思い…。怖くて、怖くて仕様がねぇんだ……」


そうか…、今まで何にも誰にも素の自分を見せた事のなかったこの人が、初めて打ち明けた本当の本当に純粋な本心。
堰を切ったかの様に溢れて止まらないその心の叫びを、デイダラは黙って静かに耳を傾ける。


「一人だったら、人形だったら…その苦しみから解放される。オレが導き出した答えであり、オレ自身の美学の形にもなった。それでも…どこかが満たされなくて、結局誰かの甘い言葉に惹かれてしまう」

色んなヤツの色んな言葉に一喜一憂して、それでも表には絶対に出さなかった。オレの本心を悟られる事を恐れたから、オレの領域に入られる事が怖かったから。

「いつしかオレは素直になる事をやめて、自分と他人の距離を一定の間隔で留める事に慣れちまった。上手く上手く調整して、オレも相手も傷つかない様に」

だけどそれは、ある人物が現れた事で今までの自分を崩壊させるに至った。


「お前だ、…デイダラ」

「オイ、ラ…」


オレの満たされない何かを満たしてくれるのが、他でもないお前だった。お前といると、どこか安心を覚えて、戦いの中でもそうじゃない時も、いつでもオレを満たしてくれた。
だがそれは同時に、今までで一番の不幸を齎す存在に成り得た。コイツを失ってしまったら、オレはどうすればいいか。そんな事をいつだって心の中で自問自答していた。
常に自分にセーブを掛けて、抑制して、依存しない様に、自分にもヤツにも領域を侵されない様に、身が摩り切れる程に、つかず離れずの一定の距離を保って。

そんな事にも疲れた折、もういっその事どちらか一方を選ぶ事に決めたオレは、お前の口にしたあの言葉を目の当たりにした。
そこで目が覚めたんだ。もういっその事、オレ達は離れた方がいいんだと。そうすれば、もう二度と傷つかない。


「でもやっぱ、お前が居ないと…駄目なんだ」

「…え…?」

「こんな無様な怪我はするは、任務でもお前が居たらなんて情けなく考えちまうは。注意力が散漫になって、失態を犯して…」


いつの間にか、もう戻れない程に、お前の事を想ってしまっていた。
忘れかけていたあのいつしか抱いた気持ち、誰かを想う心を棄てたとばかり思っていた。
あんなに恐れていた自分が傷つく事、それをも越えて上回る…確かな感情。


「自分の行き着いた美学を押し倒してまで、生身の体を手に入れて…。そこまでして気に入られたいのか…」

「っ!?」

「本当に下らねぇよ…オレの成す事全てが、どうしようもなく下らねぇ……」


隠れた目元の端が、薄暗がりの中でも光に反射して輝いて見えた。しかしそれは、冷たさを無くしたタオルによって姿を無くしていった。

でも確かに、彼は泣いていた。

心の中で、もうずっと。



「…サソリの旦那」

「…」

「オイラは他のヤツらみたく旦那を置いて消えたりなんかしねーし、いつだって旦那の傍にいる。今だってこうして、旦那に触れる事が出来る。これからもずっと、満たされない心をオイラが満たしてやる」

「…っ、その言葉、信じていいのかよ…。オレはこんなヤツだから、そう簡単に靡かないぜ?」

「本当に素直じゃねー…、でもそんな旦那もひっくるめて、オイラは旦那が大好きだ。だから、旦那も無理しない程度にオイラを信じてくれればいいさ、うん…」

「お前も本当に、馬鹿野郎だな……」




こんなオレと一緒に居てくれて、


…ありがとうな





昨夜の雨が嘘かの様な、晴天の日和。朝に唄う鳥達が鳴き声を上げる中、デイダラは静かに眠りから目を覚ます。
寄り掛かっていたベッドは、既にもぬけの殻。驚いて辺りを見回すと、朝陽が眩しく零れる窓辺の前に、輝く一人の人間の後ろ姿。
その体は、昨晩の熱を孕んだものとは打って変わった姿となっていた。


「さ、サソリの旦那!もう起きて平気…ってか、何で傀儡の体に…!?」

「ああ、起きたかデイダラ。いつまでも生身じゃ感覚にずれが生じるし、長引く怪我も引きずったら任務どころじゃねぇしな」

「でもだって…、っなんか勿体ないな」

「……、また任務がない時にでも変わってやるよ。少し時間が掛かるけどな」

「あ……、ううん。ごめんな、やっぱいいや。旦那は生身でも傀儡の体でも、旦那って事に変わりはないんだし、うん!」

「……!…デイダラ」

「どんな姿だって、旦那は旦那だ」



その言葉は、衝動で言い放ったあの一言を払拭する言葉で、サソリの心の奥底でまた満たしをくれる。
傀儡の体に魂を宿らせたその顔に、何ら変わりなく穏やかな微笑みを浮かべた。


ツーマンセルでの再出発。
彼らは暁のマントを朝陽に照らしながら、今日も忍の世を駆け巡る。





〜ShortShort Story〜


「…よし、やっと完成だ」

「サソリ、随分と機嫌が良さそうね。何かあったの?」

「小南か、今オレの最高の芸術が出来上がったんだ。芸術ってのは発想の転換も必要不可欠だからな」

「…そう。私は芸術なんてからきしだから、よくは分からないけど。喜ぶんじゃないかしら、それぐらいは分かるわ」

「…だろ?…なんか心が晴れた気分だ」

「何か言ったか?」

「いや、こっちの話だ。これ見せたら、どう喜ぶかな…デイダラのヤツ」







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