※完全ネタバレのため注意 彼の境遇を聞けば誰しもが同情せざるを得ない 生まれてきた理由も、その過程も非道と言われて当然のものである 一人の男の執念のみで作られたようなものだった 彼の名を轟焦凍という 幸か不幸か、親の個性を等価して産まれてきた彼は両親から充分な愛情を受けることなく成長していく 記憶の中の母親は常に俯き、彼に微笑むことは少なく、己の境遇に負け幼子である彼を突き放す 彼の名を轟焦凍という 強力な個性と親の名声を受け継ぐ彼は「全てを持って生まれた」と揶揄されるが、それはあくまで他人評価である 何を持ってして全てと称すのか、彼は物心つく頃には己の存在に疑問を持っていた 彼の名を轟焦凍という 頂点に立てぬ男の並々ならぬ私怨とも言える野望の為に作られた仔である 奇しくも傍近の子達よりも頭が良く、己の父親の異常な思考を読み取るのは容易かった それと同時にこの男の存在を許すことは出来なかった 実父に抱いた初めての感情は、業火のごとく燃えたぎるような憎悪だった 赤子の名は轟焦凍という 過酷とも言える幼少期を過ごした彼は、それでも母を恨むことはなかった 幼子の名は轟焦凍という 親からの愛情を充分に受けなくとも、彼は人のぬくもりを知っていた 少年の名は轟焦凍という 周囲の高まる期待を裏切ることなく力を付けていく彼は、誰かを守る強さを知っていた 彼の名は轟焦凍という 多彩な境遇に恵まれ、誰よりも過酷な成長をして来た彼は、一人ではなかった 最も古い記憶は何だっただろうか、あまりにも曖昧すぎて思い出せない。 泣いている母の顔だっただろうか、情の欠片もない鋭い目つきのアイツだっただろうか。 思い出せないのではなく、思い出したくないのかもしれない。 ただ、あまり良いものではなかった幼い頃の記憶の中で、鮮明に色褪せることなく残っているものがある。 あれは母に煮え湯を浴びせられた日の事だった。 記憶の中でいつも泣いてばかりの母は、事あるごとに従姉妹の元へ逃げるように来訪する。 親族共々親父の手の内にあった母の安息の地は、比較的近くに嫁いだ従姉妹の家だった。 あの男の支配を受けないあの家こそが、彼女にとっては唯一心安らげる場所だったろう。 俺も、事あるごとにその家に預けられていた。 あの日も、顔中を腫らした俺を連れ、あの家に逃げ込んだ。母が自分で仕出かしたことの重大さに酷く狼狽えていたことを覚えている。 あの家には年の近い子供がいた。 初めて会った記憶は残っていない。恐らく赤子の時から一緒にいたのだろう。 普段より母が従姉妹に泣き縋る事もあってか、俺も再従姉妹(はとこ)にあたる彼女は家族の延長線のような感覚だった。 彼女の名はミョウジナマエという 2つ年上の彼女は常に姉のように振る舞い、親にも撫でられることもない頭をよく撫で付けてくれた。 「焦凍、お顔まだ痛い?」 あの日も手当をした後の、包帯だらけの俺の顔を覗き込み、泣き出しそうな顔で俺を見ていた。 「いたくない」 「うそ、焦凍のお顔、痛いっていってる」 「…いたくない」 ガキのくせに頑なに泣くことをしなかった俺は本当に可愛げのない奴だった。 それでも、母の前で泣いてでもみると常に事態は悪化する事を知っていたので、普段から泣くのを我慢していた。 ナマエはそのことも知っていた。 「泣いていいよ、おばさんは今お母さんと部屋にいるから」 「………」 「大丈夫だよ焦凍、大丈夫、偉かったね、痛かったのに我慢したんだね」 「…っ」 あの頃は彼女に会うときは必ずと言っていいほど泣いていた。 泣いていい場所なのだと、子供ながらに理解していたのだ。俺も母とそう変わらぬものだった。 幼子の2歳の差はデカく、当時のナマエは俺よりも大きく、抱きしめられれば全身に彼女のぬくもりを感じられたほどだ。 家では決して感じぬ暖かさに酷く安心していた。依存、とも言えるかもしれない。 「私、焦凍のこと大好きだよ」 「…うん」 「生まれてきてくれて嬉しいよ」 「…うん」 「焦凍に会えて、私幸せだよ」 「………ナマエ、かえりたくない」 どうしようもないガキだった。 母もそうであったように、俺自身もあの男から逃げだしたかったんだ。 ナマエは帰りたくないと泣きじゃくる俺を、泣き止むまでずっと抱いてあやしてくれていた。 「焦凍、そばにいるよ」 「ずっと?」 「うん、ずっとそばにいるよ」 「ぜったい?」 「絶対、そばにいるよ」 「やくそくだよ」 「うん、約束。ずっとずっと、焦凍を守っていくからね」 ナマエの柔らかな声が、暖かな体温が、優しい香りが、何よりも俺の拠り所だった。 子供らしい口約束だったが、あの契りは今でも続いている。 「焦凍、雄英入学おめでとう!今日はお祝いしよう!」 「合格した時祝っただろ」 「こういうのは何度でもしていいんだよ。さぁ買い物に行こうか!焦凍は何が食べたい?」 「蕎麦」 「言うと思った!もっと作り甲斐のあるやつをさあ…」 あれから幾年、雄英に入学してもナマエは俺の隣にいる 「焦凍ももう高校生かぁ、私も歳をとったなあ」 「2つしか違わねえだろ。つか同じ学校だろうが」 「また私の後輩になったね!先輩に誠意を払い給え」 「先輩って面でもねえだろ」 「失礼だね!これでも大人っぽいと言われる方なんだぞ!」 あの頃に比べれば当然大人らしくはなった。が、それは俺にも当てはまる事だ。 中学に上がった頃には既に背を越え、男女の差が顕著に現れてきた。 それまでは俺にとってのナマエは文字通り大きな存在で、事あるごとに駆けつけては俺を守ってくれる、まさにヒーローの様なやつだった。 「(ヒーローと言うよりは…姉そのものだな)」 親に与えられなかったものは全て彼女が満たしてくれた。 親のいない夜はそばに居てくれた。孤独感に潰されそうなときはそっと手を握ってくれていた。 あのぬくもりだけは昔と変わらず健在だ。 感謝、している。 俺が俺でいられたのは、ナマエがいてくれたからだ。 家族のような、むしろ俺にとってはそれ以上の存在。 「お友達は沢山作りなさいね、ヒーローになってからもその縁は続くんだよ」 「まだまだ成長期なんだから、好き嫌いしないで何でも食べること!強くなるにはまず身体から!」 「疲れたら休むことも大切だからね、無理はしない。でも昨日の自分より一歩前に。その意識が大切だからね」 「焦凍、夢を叶えて、幸せになってね」 「…いつまでも子供扱いすんな」 「ふふ、そうだねもう高校生だもんね」 そう言っては昔のように頭を撫で付けてくる。背伸びして、めいいっぱい手を伸ばして。 「(どんなにデカくなろうが、俺は弟でしかないんだろうな…)」 この関係を崩したいワケではない。 だが、もう一歩踏み込んだ関係に成りたい。そう意識し始めたのもナマエの背を越えた頃だった。 わかっている。この感情は今までの自分とナマエを裏切るものなんだと。 それでも、この想いをあえて止めるようなことはしない。出来そうもない。 「…いつか」 「?」 「いつか焦凍が私より強くなって、私の存在が必要なくなった時、その時も…後もそばにいていい?」 「…当然だろ。約束は破棄させねえ」 今更、ナマエのいない生活など想像もできない。 例え彼女が離れたがっても、放す気はない。 もし、そんな日が来ようものならば、俺は俺でいられなくなるだろう。 「大丈夫、そばにいるよ」 「!……、ずっとか?」 「うん、ずっとそばにいるよ」 「絶対だな」 「絶対、そばにいるよ。ずっとずっと、焦凍を守っていくからね」 「なら、これからは俺もずっとナマエを守ってやる」 「…ふふ、期待しているよ」 今はまだその微笑みに手を伸ばす事はしねえ。 待ってろ、いつかお前が認めるぐらいのいい男になってやる。 ナマエのそばにいるために強くなってやる。 いつか本当の家族に成る日を願って 彼の名は轟焦凍という 決して幸せばかりでない日々を過ごした彼だが、しかし確実にある幸福を放さなかった これは、轟焦凍という少年が生を受け、一人の少女と共に生きた物語のほんの一部である 轟焦凍の半生 生きて、これからもずっと |