そう、例えばそれは柔らかい春の風の様に突然にやってきては暖かく包み込む
それは待望の兆しか、それとも終焉への導きなのか


焦凍、貴方に伝えたいことがあります。


暦は夏、それでも未だに陽の光は柔らかく、もうじき訪れるであろう梅雨の気配さえ感じられない


「ドライブなんて久しぶりね」
「色々と立て込んでたからな」
「お互い仕事が不定期だもんね」


雄英を卒業して早数年、未だに彼が私のそばにいてくれる事実が何よりも幸せだ。
普通の恋人のように、とはいかないけれども、それでも私たちは私たちなりの歩み方をしてきた。
いっぱい泣いたり、それ以上に笑ったり
過去を嘆いたり、未来を夢見たり

焦凍、私たち色んなことをしてきたね
きっとこれからも…


窓からは柔らかな風
車のラジオからは懐かしいメロディ


「ああこの歌、私たちが学生の時のだね」
「懐かしいな」
「ん、この歌好き」
「よく歌ってたな」
「そうだっけ?」
「覚えてないのか?」
「ふふ、好きな歌いっぱいあったからね」


当時何の歌が好きだったなんて覚えてない。耳に挟んだ時に、ふと思い出す程度。
でも貴方は覚えていてくれたのね、些細なことだけれども嬉しいわ、とても。


幸せだ、風に包まれる感覚も
好きな曲が流れる空間も
隣に彼がいる事でいつも以上に特別で、輪郭がフワフワになる様な幸福感


「(ああ、焦凍、貴方はなんて言うかしら。期待よりも不安が多いなんて…許して)」



「着いたぞ」
「…焦凍、少し話してもいい?」
「…どうした」


先ほどから感じた海の香り
人混みする前に海が見たいって言ったのも、覚えててくれたのね。
なんて優しい人なの

普段、真剣な顔で話を切り出したりしない私を不思議がったのか、彼も真剣な面持ちになる。
眉間に皺を寄せるクセ、結局治らなかったね。貴方は怒るかもしれないけど、そういう所はおじさんと似てると思う。


「焦凍、私たち長い事一緒にいたね」
「ああ、そうだな」
「私幸せよ。貴方がこの世界に生まれてきてくれて本当に感謝してる」
「…俺も、だ」


彼がそっと、私の右手を覆う。私もそれに応えるように彼の手を包み込む。
ごめんなさい、不安にさせたいわけじゃないの


「…ナマエ、何かあったのか?」
「………」


いつも鋭い貴方は私が悩んでる時、1番に気付いて側にいてくれた。それは恋人になる前からそうで、轟焦凍という人間がどれほど優しい人なのかを物語っている。


「焦凍、あのね…」

指先が震えて上手く力が入らない。
それを励ますように彼がぎゅっと握り締める。
温かい彼の体温が愛おしい





「…できたの」
「…!」
「できちゃったの、赤ちゃん」


私たちは未だ別の性を名乗っている。当然だ、ヒーローとして活動を始めて、これからという時にお互いを縛るような事はしないと約束したのだから。
それでも、いつかは…お互いにそう思っていた時だった。


「……そうか」
「…うん」


ほんの少しの沈黙ですら怖い
さっきまではお互い話さなくても心地良かったのに…
彼が口を開くのがこんなにも怖いと思う日が来るなんて


「…ここで待ってろ」
「っ!しょ、焦凍…」


突然に車から出て行く焦凍、片手に持った電話で何処かに連絡を入れている。
離れていった手が寂しい
どこに電話しているの…?
まさか、


「(病院?そんな…)」


もし、もしも彼に拒絶されたら…考えたくない結末が目の前をチラつく。
いざとなったら一人でも育てるつもりだった。何日も悩んで悩んで、そう決めた。なのに、なのに…


「(…産むことも許されないの?)」


目の前が暗くなる。
そうよね、責任とかあるもんね。
特に焦凍は親子という関係に敏感だもの。そう、簡単に割り切れないよね


「(ごめんね、ごめんね)」


顔もわからぬ子に謝ることしか出来ない。私はこの子を守ることも出来ないのだろうか。



「…戻るぞ」
「…どこに、?」
「行けばわかる」


戻ってきた彼が、有無を言わせず車を走らせる。
来た道と同じはずなのに、気分は真逆だ。ガードレールにある反射板が私へカウントダウンしているかのようで気が滅入りそう。


「(泣いちゃダメよ、泣くのは卑怯だから)」


母親の泣き顔ばかり見てきた彼にとって、涙は最大で最低の武器だ。
私が泣くことで、彼が私以上に辛い気持ちになることは今まで一緒に居て分かった事。
だから私はなるべく悲しさで涙を流したくはない。少なくとも、彼の前では。


雲ひとつない天気が今は憎らしい
何一つ晴れぬ心が見えない雨を降らす



どれ位走ったのだろうかわからないが、やがて大きな建物が見え、その門をくぐる。

そこは病院などではなかった



「…区役所?」
「行くぞ」
「え、待って!」
「走るな、ゆっくり歩け」


まるで私を庇うかのように歩く彼。
彼の意図がわからず、ただひたすらに入り口まで着いて行く。
そこには見慣れた顔が…


「あ!ナマエちゃーん!久しぶり!!」
「轟くんも、久しぶりだね。この間のヒーローニュース見たよ」
「お茶子ちゃん、緑谷くん…?なんでここに?」


学生時代のクラスメイトだった2人が揃ってそこにいた。
久しぶりの再会ではあるが、同業故に顔を合わせる機会は多々ある。
ただ、プライベートで会うのは本当に久しぶりだった。


「轟くんから電話が来てさ、いきなりだったから僕も驚いたよ」
「でも!こーゆー連絡は大歓迎!!うちも速攻で来たよ!」
「え、焦凍がよんだの?」


すぐ横にいる彼に視線を移す。
一体何を考えて…


「緑谷、麗日を呼んだのか」
「うん、たまたま今日会う約束してたから」
「邪魔したようで悪いな」
「そんなこと無いって!むしろ私立ち合えて嬉しいよ!記念すべき日だもんね!!」
「ど、どういう事なの?」


話の流れが全く読めずに混乱だけが募る。
すると、緑谷くんが優しい笑みを浮かべて言った


「今日、ていうかさっき轟くんから連絡が来てね。証人になって欲しいから来て欲しいって。僕ビックリしてさ、丁度麗日さんもいたから2人でそのまま来たんだ」
「しょ、証人?なんの?」
「え!?もしかして轟くん、ナマエちゃんに何も言わずに連れてきたの!?」
「ああ」


この場の状況を見ると、理解していないのは私だけの様だ
証人って裁判でもするつもり!?


「さっき車から出た時、緑谷に連絡したんだ。婚姻届の証人になってもらえるかって」
「えっ、こ、婚姻届…?」
「おめでとうナマエちゃん!幸せになってね!」
「待って麗日さん!ミョウジさんの様子を見ると何も知らないみたいだよ!轟くんもしかして、その、ぷ、プロポーズしてないんじゃない!?」
「!あ、」
「「えええぇぇええーー!!?」」



目の前で緑茶コンビが騒ぎ出す
ああ、なんとなく高校の時に戻ったみたい


「ナマエ」
「あ、轟くん」
「(苗字呼び?)…大丈夫か?」
「え、ええ、ごめんなさい。なんだか高校の時に戻ったみたいで…じゃなくて、焦凍どういうこと?」


あまりの展開に頭が付いていかない
えっと、病院だと思ったら区役所にいて、そこに緑谷くんとお茶子ちゃん達が焦凍に証人として呼び出されてて、その証人が必要なのが…


「ナマエ」
「え、なに?」
「愛してる」
「!」
「今までも、これからもずっと」
「焦凍…」
「すぐに気付いてやらなくて悪かった。お前の事だから色々と悩んだんだろう。…もう1人で悩むことは無い。これからは俺も付いてる。一緒にいよう、恋人としてではなく、家族として」
「しょ、うと…」
「承諾してくれるか?」
「当たり前だよっ、焦凍、うっ、私、産んでいいの?」


あれ程に我慢していたものが止まらず溢れ出る。
違うのこれは悲しくて泣いてるんじゃないの


「当然だ。元気な子を産んでくれ、俺とナマエの子を。…愛してるナマエ」
「う、焦凍、わ、私もっ愛してる!ずっと、ずっと側に居させて!この子と一緒に!」
「ああ。俺が守ってやる。父親になるからな、当然だ」


堪らず焦凍に抱きつく。彼はお腹を気遣ってくれたのか、そっと私の頭を胸に当てそのまま優しいキスをくれた


「ナマエぢゃんよがったねぇぇえ!!うっ!うっ!あがぢゃんまで授かっだんだねぇぇっえっ!!げっ、元気な子をぅぅうう」
「う、麗日さん大丈夫!?と、とりあえず中に入ろう!?ここは人目が多過ぎるよ!!」


相変わらず冷静な緑谷くんが私たちを誘導してくれる。
受付までの赤い絨毯がバージンロードの様で、より一層夢見心地になる


「ナマエ、幸せにする」
「うん、…ううん、違うわ幸せになるのよ私たち3人で一緒に」
「…そうだな」



轟焦凍の幸福01
与えて与えられる愛

拍手リクエスト:轟くんの幸せな家族の話
思わずシリーズにしたくなるようなリクエストありがとうございます。私も微力ながらに轟くんの幸せを願っております。



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