君には骨がある、僕には骨が無い



※高校時代妄想



こほッ

小さな咳きが零れた。

「なんだい。静雄、風邪かい?」

傍らにいた新羅が尋ねる。
心配、というよりも興味津々といった風に、その黒い瞳が輝いていた。

「なんか、昨日から調子が悪くてな」

白い喉をさすりながら静雄は答える。
乾いて冷たい空気が、その横を駆け抜けていった。ひょう、と吹いた風は新羅と静雄の制服を揺らした。

新羅はその手を温めるように擦り合わせる。その鼻は冷気で赤くなっていた。痛そうな赤だ。多分自分の鼻も赤いに違いない、と静雄は思った。

「まあ、こんな季節だからね」

のど飴でも舐めるかい、と笑いながら尋ねた新羅に、のど飴はスースーするからキライだ、と静雄は苦い顔を返す。

こほ、ごほッ

再び、静雄の口から零れた咳きは、空気に溶けていった。
それは、登下校の途中の事だった。そのような咳きなどたいしたことではないと思っていた。そんな寒い朝の事だった。





「図書委員?」

静雄の、少し間の抜けた声が廊下に響き渡る。思っていたより大きな声をだしてしまって、ああ、やってしまったという苦みが胸に沁みた。頭二つ分ほど低いところにあるその女生徒は、小さな体をより一層縮める。萎縮しているのだろう。あるいは、この場から消え入りたいという願望の表れなのかもしれない。

「う、うん。……へ、平和島くん、二学期になっても、その、当番に一度も来てないからって、せ、先生が、呼んで、来いって、そう、言われて……」

今にも消え入りそうな声が、たどたどしく答える。その顔はうつむいていて、艶やかな髪と旋毛が良く見えた。多分、静雄の事が怖いのだ。他の生徒から自分がどのように見られているのかは、静雄にも自覚があった。それが、どれほどの範囲かは別として。
がりがりと、頭の後ろを掻く。そのようなことは知らなかった、と正直に言えばまたこの小柄な少女はまた震える声で返事を返して、そしてまた、細い肩をすくめる――そんなことが容易に想像できた。

どうしたものか。

考えて考えて、そしてやっと、静雄は言葉を見つけた。

「あー、わるかったな。今日はじゃあ、俺一人でその、当番に行くから」

優しく笑おうとして、失敗して、はにかんだようなぎこちない笑みになってしまった。名も知らぬ女生徒は、けれど、驚いたように、その小さな頭を跳ね上げて静雄の顔を見た。まん丸の目と、一瞬だけ視線が合わさって、また、すぐに伏せられる。

「そ、そう。あの、仕事は、先生に、聞けば、分かるので、……」

最後まで言い終わるか終わらないかのうちに、女生徒はくるりと背を向けて廊下の端へと駆けだしていった。

こほッごほごほ……、

また乾いた咳きが出た。胸から何かを絞り出させるように咳きが出た。発作のようなそれが収まると、ふう、と静雄は息を吐く。なんだか、朝よりも酷くなっている気がする。
しかし、静雄の喉が調子を悪くするのも、多くは無いが、今までに確かにあることで、そして風邪をひいたりすることはめったになかったものだったから、静雄はこれもどうせたいしたことではないと思った。
それから、先ほどの少女の言葉を思い起こす。図書委員。初耳であるけれど、もしかしたらそんな取り決めが、自分が喧嘩などで学校にいない時にあったのかもしれない。

まあ、どうせ、いつも、暇なんだから。

そんな風に考えて、静雄は薄い鞄を持って、図書室へ向かった。





がたがたと鳴る立てつけの悪い引き戸をなんとか押しあけて、静雄は図書室に足を踏み入れた。

あまり来た事が無いところだったので、好奇心に静雄はあたりを見渡した。天井にまで届くような本棚と、所狭しと詰め込まれた蔵書に、少したじろぐ。
けれど、そこには誰もいなかった。生徒の姿も、教師の姿も、誰も。
先生とやらに仕事を聞こうに思っても、誰もいないのではどうしようもない。

こほッ、こほこほ、

乾いた咳きを繰り返しながら、静雄は、図書室を歩いてみることにした。それはひとえに退屈であったからであり、そして静雄も少しであったが本を読んだりすることがあったからだった。もっぱら、利用するのは駅前の書店であったが。

本棚は、どこまでも静かにたたずんでいた。分厚いカバーのされた本は、その周りの空気も分厚く重たくしているように感じられた。そんな雰囲気にのまれるように、静雄は慎重に本棚の間を歩いた。
静雄の知らない、見たこともないような名前の本ばかりが並んでいた。どれも古びて見えるので、たぶん昔の本を集めたところなのだろうか。
短く、あるいは長く、背表紙に書かれた題名は、静雄に何かを囁きかけた。囁きに耳をすまそうと、静雄は慎重に、慎重に歩を進める。

静雄は本に気を取られていた。

そこは、静かだった。

何より自分以外に誰もいないものだと思っていた。

それが、静雄を油断させた。





ぐん、と突然強い力で左手を掴まれて引っ張られる。突然であったことと、そして油断していたことで、静雄はただなすがままのように引かれた方に体が持って行かれた。
そして一瞬の隙を与えられる間もなく、床にねじ伏せられる。
首は強制的に横に向けられた。頭を手で押さえつけられているようだった。多分背中に乗って、全身を押さえつけているのだ。
自分から軽々と隙を奪えるのは、そして、その隙を最大限生かして容赦なく襲いかかれるのは、静雄の知るところ一人しかいなかった。ひねられた左腕が、背骨に押しつけられて、床と挟まれた胸が圧迫させられる。

静雄は息をひねり出すように、背後にいる人物へつぶやいた。

「くそっ……、テメェ、臨也か」

静雄を組み敷いた人物は、その言葉に答えることなく、ただ、床に押さえつける力を強くしただけだった。

頭に血がのぼった。苛立った。どこからこの男の策略なのか知れたことではないがしかし、こんな風にねじ伏せられるなど、静雄にとっては屈辱以外の何物でもない。
その圧倒的な筋力でもって、何もかも壊してしまおうとした矢先、突然、現実に引き戻すかのように、肺が縮みあがった。
不慮の事故。あるいはこれさえも、この男の手のひらの上の出来事なのか。

がはッ、ごほッ、ごほごほッ……

図書室の埃が悪かったのだろうか、幾度となく咳きが吐き出された。痛みが喉を焼く。反射的に体を丸めようとするものの、押さえつけられた体ではそれさえままならない。ただ、本能的に肉体を震わせるだけだった。

「ああ、シズちゃん、風邪なの? ご愁傷さま」

そんな静雄の様子を嘲笑うように、楽しげな声が頭の上から響いた。

「ごほっ……、死ね、このクソ野郎」

やっと息を告げるようになった静雄が悪態をつく。そんな言葉にも、けらけらと臨也は笑った。

「わあ、怖い怖い。じゃあ、そんな怖いシズちゃんにはお仕置きだね」

そうして臨也はただ、静雄の右肩を強く押した、だけのようにしか、静雄には感じられなかった。

ごりい。

そんな音が耳元で大きく鳴った。音は静雄の肩から聞こえた。体内から響いたその音は、酷く不快な音だった。それから痛みが遠くからやってくる。

静雄は右腕で臨也を振り払おうとした。

――動かなかった。

動かすことが出来なかった。何が起きたのか、とっさには分からなかった。

「シズちゃんが、曲がりなりにも人間みたいな体をしていてよかったよ。まあ、関節外すのに、普通の人の倍以上の力が必要だったけどね。関節を外す事って、コツをつかんで練習すれば結構簡単に出来るものなんだよ」

その、嬉しげな、楽しげな声はまるで何かのゲームをしているようだった。楽しい遊びなのだと静雄は分かった。これは、遊び以外何物でもないのだ、彼の中では。

関節を外す。何度か静雄も経験したことがあった。それは小学生の時だった。痛みの記憶だけが、引っ掻き傷のように残っている。それが鮮やかによみがえった。
けれど、時を経て、もう、そんなことは無くなっていたのに、この男はそれを簡単にやってのけたのか。

静雄は恐怖した。

動かない右腕だけで無い。全身が、恐怖で凍りついた。

それは、これからどうなるのかが、容易に想像出来たからだった。


「ねえ、シズちゃん。人間の体に、関節って何個あるのか知ってる? シズちゃんが本当に人間の体をしているか、俺が確かめてあげるよ」






title by joy









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