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家に帰って簡単に飯を済ませ、風呂に入った後、俺は携帯を開いた。以前はそのままさっさと寝ていたものだけれど、最近ではこうして暇さえあればサイケと会話をするようになっていた。それを不思議に思う。普通に会話するダチは少ないけれどもいるし、それこそ、新羅にでも電話をすればこんな会話をいくらでも出来るのに。 まあ、でも、と俺は起動中の画面を見ながら思った。 俺にマイナスになっているわけじゃねぇし、このままで別にいいか。 画面が明るくなってサイケが出てきた。昔は手抜きに思えたグラフィックだが、見慣れてきた今ではなんだか子供のころに遊んだプラスチックの小さな人形のようにも見える。 “コンナ オソクマデ オシゴト オツカレ” 『なんでお前が俺が仕事帰りだって分かったんだ?』最初の登録画面で聞かれてなければ今までの会話でそんなことをした覚えもない。 “コレマデノ カイワノ ジカンカラ スイソクシタヨ” 顔のグラフィックが変わる。よくわからないが、多分、文面から推測するに勝ち誇った顔をしているのだろう。 驚いた。まさか、AIの学習機能ってそんな細かいところまで見ているとは思ってもいなかった。 『そりゃすごい。よく分かったな』 “モット ホメテモイイヨ” 『これくらいの事でつけあがるなんて、まだまだ甘いな』 “アマイ? ボクハ タベラレナイヨ?” 『食いものじゃなくて、油断してるってことだ』 “オモシロイ ヒョウゲンダケド ボクハ ユダンヲ シテナイヨ” 『ちょっと気を利かせたくらいじゃあ、なかなか評価されねぇのが人間社会なんだよ』 そう返事を書くと、少し、サイケからの返信が遅くなった。長い文だから、読み取りが難しかったのかもしれない。 “ハネジマサンハ ソンナセカイニ イルンダネ” また、グラフィックが変わる。ちょっと悲しげな表情。 『この世界だって悪くねぇぜ。プリンあるしな』 何か悪い印象でも与えてしまったように思えて、あわてて俺は返事を書いた。なんで俺はあわてているのだろうと思う自分がいる。 その返信は正しかったのか、すぐに再びグラフィックが変わった。今度は笑った顔。 “プリン! ボクモ タベテミタイナァ” 『美味いぞ。甘くてとろけるんだ』 “イイナァ ボクモ ニンゲンニ ナレタライイノニ” 今度は俺が返事を書けなくなった。どう、返事をしたらいいのだろう。 こいつと会話をしていて分かった事は、サイケは結構賢いところがある事だ。だから、適当に返事をしたら、適当だってことが分かってしまうだろう。 そして、この質問の答えなんてサイケ自身が分かっているに違いないから、余計に、俺に返事を書くことを躊躇わせた。 そんな風に迷っていると、再び電子音が鳴った。 “イツカ ニンゲンニ ナルノガ モクヒョウナンダヨ” ああ、こいつは俺が返事に困っていると分かって、それでこんな言葉を続けたのだ。 グラフィックは変わらない。笑顔のままだ。しかし、そんなドット絵の向こうにいるヤツの本心なんて表情には出てこないのはどの世界だって変わらない。 『俺も、応援するよ』 他にどんな返事が言えたのか、俺には分からなかった。 “アリガトウ ハネジマサン! ジャア ネルジカンダカラネ” そして、バイバイをするように手を振ったサイケはそのまま、枠の外へ出て行った。それを見送ってから俺も携帯を閉じる。 「人間になりたい、ね……」 まさか、小説とか漫画でよく見かける言葉を言われるなんて思ってもみなかった。そして、その言葉の返事に窮する自分がいることも。 適当な相手には、適当に返せばいい事なのだ。それこそ、思いついたような言葉を返せば、それにサイケは返事をするのだろう。あの、分かりにくい笑顔を張り付けたまま。 ごろりと左に寝返りをうてば、左目からシーツに隠れて白い壁が見えた。目を閉じる。 応援するなんて、そんな言葉をかけられるような立場ではないのに、俺は。自嘲の笑みが漏れた。だって、俺だって、人間になりきれていないじゃないか。 右目の傷なんてとっくの昔に完治していることを知っているのに、その完治する異常な早さを誰かに見られたくなくて、飾りみたいなアイパッチをつけたままでいる。バカバカしいのは知っていた。でも、そうしてしまう自分がいるのだ。昔から変わらずに。 みんな知っている。俺が異常だという事を。そして知っていることを俺は知っているのに、捨てきれずにいる何かが俺の邪魔をする。 サイケは俺を、なんのフィルターも被せずに見て、そして返事をした。 適当に返事をすれば、面倒くさがりだと返事が返ってきて、誠意をもって返事を書けば、誠実な人だと笑顔を見せた。 そこには、化け物と呼ばれる俺はいなかった。ただ、まっすぐな言葉があった。 人間になりたいと、サイケが言った時、俺は人間なんてどうしようもないやつばかりだと返事をしてやればよかった。そして、俺の方がお前みたいになりたいのだと、言えばよかった。 ベッドの中で、繰り返し、そう思う。 多分俺は、このサイケという電子のキャラクターの事が気にいっていたのだ。 次 小説top |