忘却 |
※死ネタ 「俺を恨んで。シズちゃん。俺を殺したいほど恨んで、大嫌いと言って、全身で拒絶して、どこまでも嫌って、すべての言葉に反発して、あらゆる接点を持とうとしないで、存在することを疎んじて、触ることさえ毛嫌いして、俺を見るだけで不快になって、怨めしく思って、俺だけを敵視して、ずっとずっと殺そうとしてね。シズちゃん」 ――だから、忘れないでいて。 その言葉は、吐きだされることなく胸の中で燻る。けれども消えることは無かった。 くだらない。こんなことを願うことも、こうやって誰もいないところで吐きだすことも。 すべてがくだらないのだ。 死ぬ時は、きっと彼に殺されるのだろうと思っていた。 彼の異常なまでの力でもって、リミッターを振り切り過ぎてしまった怒りが俺を殺すのだと。そして、茫然と見開かれた瞳を見返しながら、俺はそんな彼の間抜け面を笑いながら殺されていくのだろうと。 けれども今の現実はどうだ。 「……な、さけないな」 自嘲した笑みを浮かべれば、傷ついた内臓から血があふれだして口内にあふれた。地面に唾とともに吐き出す。赤く散らばってコンクリートの床を汚した。 壁に肩をつけるようにしてもたれかかりながら立っていることも、すでに限界だった。打ちっぱなしの壁が冷たいのか暖かいのかさえ分からない。そのまま背を壁に付けて、ずるずると座り込む。もはや、痛みはどこか遠いところのように感じられた。 寂れたアパートの二階の廊下から見上げれば、手すりの向こうに池袋の春の空が見えた。どこかから飛んできたのか花びらと砂ぼこりが巻きあがっていた。 静かで、変わらない日常。 「ハハッ、俺が、死ぬって、いう、時に……」 たらり、と口端から血が垂れる。それさえ拭うことが、できない。 新羅やセルティに連絡してももう遅い。そんなことは最初から分かっていた。 だったら、どうせなら、最後まで嫌がらせをしていきたいというものだ。 かすれていく視界と思考の中で、そろそろ彼の仕事が終わる頃だと情報を紐解く。今日は俺も何もしかけてないから、きっとよほどの不運でない限り穏やかな一日を過ごしたはずだ。この空のように。そしてそんな日の最後に、玄関の前で死にかけた俺の姿を確認するのだ。 彼は、どんな顔をするのだろう。 俺にいつも見せるような、イライラした表情でもするのだろうか。大きなゴミが置いてある、とでも。うざったそうに舌打ちをしながら。彼も死体など見慣れているはずだ。 けれども。 もしかしたら、意外に良心的な彼は、腐れ縁で8年も付き合っている俺が死んだことに、動揺してくれるかもしれない。ぽろりと口にくわえた煙草を落としながら、慌てたように死体に近づいたりして。煩わしかった蟲の羽音が聞こえなくなったことに、寂しさを感じてくれるのだろうか。 そうなれば、すべて俺の勝ちだ。 俺が彼の目の前で彼が無力のままに死んでいく、そんな最初の人間になるのだ。きっと彼は忘れることができないだろう。自分自身が何も出来ずに死んでいった人間のことを。 最初で最後の、盛大なる嫌がらせだ。天秤にかけるのは、彼の良心とそして俺の命。 ハイリスクなくせに、願うことは小市民的な事で、最後まで無駄でしかない。まったく、俺には似合わない。こんなつまらない嫌がらせなど。どうせなら、もっと派手に華々しく誰の網膜にも焼き付けるような、そんな死に様の方が似合っている。 ――だから だから、こんな風にしてまで忘れないでいてほしいなんて、願うのは、俺のエゴに過ぎないのだろう。 ゆっくりと目を閉じた。 そう遠くない民家で誰かが呼ぶ。 過ぎ去る車や二輪が道路を揺らす。 高い音を立てて電車が踏切を渡る。 そんな音にまぎれて、皮靴が床を踏む音が聞こえた。 泣いてほしくはない 小説top |