赤い葡萄



ばたんと軽い音がして玄関が閉められた事を、臨也はベッドの中で聞いていた。

うっすらと開けられた瞼からは黒々とした瞳が覗いている。眠たくはなかったから、瞼を下げることはない。けれども、今の時間はきっと眠るべき時間なのだろう。部屋の扉に背を向けるように縮こまった体は、ベッドの上でシーツに緩やかに包まれていた。丸められた体は子供みたいだ。自分でもそう思う。駄々をこねる、小さな子。それでも、いつかは大人になる。

今、玄関から出て行った人は戻っては来ない。けれど、たとえ戻ってきたところで自分は扉を開けるのだろうか。

ゆっくりと瞼を閉じた。黒い世界には、何も、映ることはなかった。



次に目が覚めたのは、早朝と言っても差し支えのない時間だった。喉の渇きを覚える。
セックスをした後には水が飲みたくなる。それも、キンキンに冷えたミネラルウォーターが良い。

白い冷蔵庫から、エビアンのペットボトルを取り出した。脚で蹴ってその戸を閉じる。ふたを捻ってそのまま口をつけた。堅さを持った水は、潤すというよりも体を突き刺すように隅まで行きわたっていって、火照りを和らげていった。
いったん飲むのをやめて、時計を見た。壁に掛けられているデザイン時計は、そのスラリと伸びる黒い針で、五時を少し過ぎたところを指していた。もちろん、午後ではない。


――もしも、

その時計に吸い込まれるように思考が浮かび上がった。

――もしも、この時間になるまで引きとめていたら……。

即座に否定する。仮定の話は小説の中だけで十分だ。変わることのない歴史はただ刻み込んでいくだけ。意味のない思考は行動に迷いだけを生む。

ボトルの中の水を飲み干して、潰してゴミ箱に放り込んだ。
そのまま、このくだらない考えも捨ててしまえたらいいのに(それなのに、妙にこびりついて離れない)。

好きではなかった。臨也はそう思っている。自分は恋情からこの行為にいたったのではなかったはずだ、と。

じゃあ何故。そう尋ねるのはもう一人の自分だった。

なぜ、お前はこうして家に呼ぶのか。

いや違う。彼でなければならない理由などどこにもない。誰でもいい。
だから、考えるな。


頭を振って、そんな考えを追い払う。ふと、テーブルの上に目を止めた。透明な大皿の上に熟れた葡萄が一房のっている。初物だからと取引先でもらったものを、後で食べようと皿にのせたことを臨也は思い出す。

葡萄は、薄暗い室内の中で唯一の色彩を放っていた。あまりに艶やかな色を持っているので、それは、余計に作り物めいて見えた。

戯れに、その中の一粒を千切って口に含む。けれど、熟れたように見えたのは表面だけで、味はかなり酸っぱいものだった。その酸味に、臨也は顔をしかめる。あるいは、自分は愚かな狐かもしれない。と、葡萄の種を吐き出しながら思った。きっと、葡萄に伸ばさずにはいられないくせに、裏切りを恐れる愚かな狐。

もう一粒、食べようかと手を伸ばしたけれど、やっぱり止めた。次に、彼を呼ぶ時にはもう少し甘くなっているだろう。そのときにまた、食べよう。


窓から差し込む白い光に、顔を上げた。夜が明けたようだ。
彼はこの朝日を見ているのだろうかと、ほんの少し離れたところにいる人物に、臨也は思いを馳せた。



ブルー・トレインの対、のつもり








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