絵の上手い人 [前]



※来神



静雄がいつものように屋上の給水塔に背をかけて、暖かな陽光を浴びながらうつらうつらとしていた時だった。
その頃になると授業はもはや受ける気をなくしていて、何のために学校に来ているのかと門田に諭されるときも多かった。かといって、改まって椅子の上にお行儀よく座り、ノートにペンを走らせるなんていう事をするには遅すぎたし、けれども学校を出て町をふらついているのはむしろそちらのほうが面倒くさく思えた。

こうやって、ぼんやりと空でも眺めているほうが自分には合っている。

そんな風に思って、つかの間の平和をかみしめる。これが本当の幸せだなぁ、なんて達観できるほどの人生経験は持っていなかったけれども、一人でこの広い屋上の隅にいる、そんな時間が好きだった。

そして、夢心地にはいたものの、まだ、意識の半分は起きていた時。
ぎぃい、と金属が苦しんだ悲鳴を上げた。それはもともと建てつけの悪い扉をさらに何度か自分が蹴ったために、酷い音を鳴らすようになっていた。

その声を背中で聞きながら、誰が来たのだろうと思いを巡らす。今までの屋上の住人は自分しかいなかった。鐘の音は鳴っていない。いくら寝ぼけている自分とて、近隣にまで広がる鐘の音には気がつくはずだ。

首を壁から出して、扉の方を覗く。壁の端から小さく見える、つややかな黒髪と短い詰襟の制服。下からは赤いシャツが覗いている、あれは、

……まさか。

反射的に近くの物を投げつけようとするも、残念なことに自動販売機も街頭もない。あるのは給水塔だけだ。タンクだったら蹴り飛ばすのも容易だが、塔ほどでかいと水が出るだけで面倒だ。
どうやら向こうは気が付いていないらしい。足音を立てて静雄から遠ざかりつつある。普段、ノミ虫は嫌になるほど周りの気配を探り、安全な場所にしか逃げないものなのに、こんなところにのこのことやってくるのは愚の骨頂だ。

普段ならば勝機とばかりに殴りかかっているだろう。今までの恨みつらみを込めた握りこぶしで。背後からだろうが、なんだろうが関係なく。
けれど、今日は空からは春の陽光が差し込み、灰色のコンクリートも暖かく染まっている。あいつは喧嘩をするつもりではないようで、そして何より今の自分はとても眠い。
なら、まぁ、別に良いか。
そう思って再び給水塔にもたれかかる。そんな静雄を太陽が温める。
静雄が眠りにつくのにそれほど時間はかからなかった。



肩を叩かれて、目が覚める。
うっすら目を開くと、赤い夕陽に照らされた門田の顔があった。その顔で、ぼんやりとした頭がここは何処だったかを思い出してきた。

「下校時刻だ、帰るぞ」

ひょいと鞄を放られて反射的にキャッチする。

「ん、サンキュ」

「どういたしまして」

白い光に包まれていた屋上は、今では赤く照らされて、給水塔が長い影を作っていた。少し肌寒い。起き上がろうと床に手をつくと、乾いたものに触れた感触があった。ふと下を見ると、小さいスケッチブックで重しをされた紙が置いてある。折りたたまれていて、何が描かれているかは分からない。

「何だ、これ?」

紙とスケッチブックを手に取りながら静雄は門田に尋ねる。

「いや、俺が来たときからあったけど」

「ふーん」

適当に折りたたまれただろう紙を開くと、そこには眠る静雄の姿が描かれていた。顔を下に向けて、阿呆みたいに口を半開きにして、手足を投げうって昏々と眠る静雄が。

細部まで描きこまれているわけではない。けれど、軽いタッチで書かれた曲線は、やわらかく輪郭を浮かび上がらせ、その場の穏やかな空気まで描き出しているようだ。芸術には疎い静雄からみても、上手いと感じさせる絵だった。

けれど、門田が書いたものではないのだから、他に屋上にやってきた人物がいないのであれば一人の人物しかあてはまらない。そして、隅に『for シズちゃん』と書いてあるのを見つけてしまったわけで。


「……あんの、クソノミ虫ヤロゥ」

眠気に負けて天敵の近くで眠ってしまったのを後悔して止まない。やっぱりあの時に殴っておけばよかった。そうすれば、こんな醜態をさらすことは無かったのに。
怒りのあまり周りを破壊したくなる。右手に持っていた紙はそれこそ一瞬のうちに小さな白い塊へと変化した。

「し、静雄……?」

いきなり額に青筋を浮かべたの静雄に恐る恐るといったように門田が声をかけた。二、三歩後ずさる。その声で、静雄は怒りをぶつける対象がここにいないことに気がついた。屋上を壊したってあいつは痛くもかゆくもなく、むしろこちらを見て嘲笑うに違いないのだ。

「チッ、……何でもねぇ。帰ろう」


けれど、帰り際にスケッチブックと紙を鞄に一緒に放り込んだのは、たぶん、このまま晒しておくにはもったいなかったからであることをなんとなく分かってしまっていたので、それがまた酷く静雄の癪に障るのだった。












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