檸檬水 |
※オリキャラ等、捏造注意! 「あっ」 臨也が声を上げた時にはもう遅かった。 どうやら、この夏の異常な暑さは自分の脳を知らぬ間に溶かしていたようで、スポーツドリンクを買うはずだったのに、その隣の檸檬水のボタンを押していた。 ピッという軽い電子音とともに、ゴトン、と重たくそれが落ちてくる。 あーあ……。声が自然に臨也の口から零れる。 黒髪を伝う汗をぬぐいながら、しゃがみ込んでそのペットボトルを取りだした。ひんやりとして、少し水滴を帯びたそれは、いつも、静雄が飲んでいるものだと今更気がついて大きく舌打ちをする。 ああ、なんで俺はこんなものを買ったのか。 後悔した所で自動販売機に文句を言えるわけがなく。仕方なしに喉を潤そうとふたを開けた。 ぷしゅ。気の抜けたような音が漏れて、冷えた空気が鼻に触れた。 一口飲めば、淡い炭酸が口内をくすぐって体内を冷たく流れていく。 そのあとに、少しだけ香る、爽やかな檸檬の匂い。 ふと、その匂いをどこか別の場所で嗅いだ気がした。 「やぁ、臨也。遅かったね」 昼食時、いつものように教室の隅で弁当を広げる新羅の前に、臨也はコンビニのパンを置いた。その隣に、目立たぬようにそっと檸檬水を添える。 「まあね」 素知らぬ風にパンの袋を破る臨也に、しかし新羅はニヤっと笑ってそのペットボトルを箸で指差した。 「君って炭酸苦手じゃなかったっけ? いつもスポーツドリンクを飲んでいた気がするけど」 「別に、苦手なわけじゃないよ。ただボタンを押し間違えただけさ」 臨也は何気なく答えて焼きそばパンをかじった。ソースの香ばしい匂いがする。 「ふぅん、そうかい」 その様子に興をそがれたのか新羅は気のないように答えて、ハンバーグを一口食べる。珍しく二人はそれ以上会話をつづけることなくそれぞれの食事をつづけていた。臨也は妙に熱心に焼きそばパンをかじっていた。 そんな臨也をちらりと見て、新羅はそっと溜息を吐く。 そして、その沈黙がやっと破れたのは、お昼休みも半分以上過ぎた時のことだった。 「あのさ、君はもう知っているかもしれないけど」 少し口ごもるようにそう切り出した新羅の話を、臨也はパンから顔を話すことなく聞いていた。パンと麺とを上手くバランスを取りながら食べるのは難しいものだなぁ、などとどうでもいいことばかりを考えた。 「静雄に、彼女が出来たらしいね」 それは疾うの昔に知っている事だった。また一口、今度は小さなキャベツだけを口にとって食べた。ふやけていたキャベツは歯ごたえを感じる前にのみこんでしまう。 「そうだね」 当たり障りのない返事を返すあたり、君も相当衝撃を受けているんだね。そんなことを新羅は内心思いつつも、ただ、愛する彼女の手料理に舌鼓を打ちながら、小さくため息を吐いただけだった。 「君の事だから、徹底的に邪魔をするかと思ったよ」 「シズちゃんがどうこうしようが俺には関係ないことだろ」 臨也は残っていたパンを強引に口の中に押し込んで、檸檬水で流し込んだ。甘酸っぱいそれは、水のように簡単に流しきることが出来ずに、甘さを後に残す。だから、嫌いだ。 そのまま、空っぽになった袋とペットボトルを持って教室の外に出る。「どこ行くんだい」新羅の声が聞こえたような気がしたが、振り切ってそのまま屋上へのぼっていった。 ぎぃい、と軋んだ音を立てて扉を開ければ、夏のあの、ギラギラとした太陽の光が差し込んだ。その眩しさに手で庇を作りながら、一歩踏み出す。 屋上には、もう昼休みの終わりに近いからなのか誰もいなかった。風が、臨也の髪や服を揺らした。臨也はゆっくりとフェンスに近づいて、中庭の方をのぞきこんだ。 遠く、まるで遠くに見慣れた金髪とそしてその隣の長い黒髪を見つけて、臨也は目を細めた。 笑っている。 誰と。 自分以外の人間と。 ガシャン。乱暴に音を立ててフェンスに掛けていた手を離した。そのまま、体を反転させてフェンスに持たれかかりずるずると座りこむ。濃い影が顔を覆った。瞼を強くつむっても、先ほど見た映像が焼き付いて離れない。 右手に持っていた檸檬水を思い出して、そのまま勢いで飲んだ。口の端から水滴が零れるのも構わずに飲み続けていれば、自然にむせて幾度も咳きこんだ。生理的に涙が浮かんで、視界がにじむ。臨也は下唇を噛んで、咳きをこらえる。 もう一口、檸檬水を飲みこんだ。 締め付けるように甘くて、そして苦い、檸檬の味がした。 静雄に笑って欲しい臨也 小説top |