惑う星 |
「――それまでは円運動だと思われていた惑星の運動を、ドイツの天文学者、ケプラーは楕円運動だと主張した。それから後に数学的証明がなされて、ケプラーの法則と呼ばれている。これは第三法則まであって――……」 低くざらついた声が臨也の耳の奥を響かせる。 物理室はカリカリとノートをひっかく音とカーテンが風に揺れる音のほかに、教師の声しか聞こえなかった。 旧校舎の物理室にはエアコンは入っておらずうるさい区動音も冷たすぎる風も無い。 静かだ。臨也は思った。 まるで彼の名前のようだ。 微風が時折入り込んでくるだけで教室の中は酷く蒸し暑かった。 生徒たちは、パタパタとうちわを扇いだり、タオルで額の汗を拭ったりして何とか暑さをしのいでいる。 もちろん、どの生徒もみな半袖だ。臨也も例外ではない。 しかし、教室の前にいる教師はいかにも暑苦しそうな白衣を脱ぐことはなく、それなのに額には汗ひとつかいていなかった。 かんかん、と乾いた音をたてて、黒板に白い文字が書かれていく。 すごく綺麗ではないけれども読みやすい文字だった。 それを臨也はノートに写すことはない。 それどころか机の上には教科書も、参考書も広げられていることはなかった。ただぼんやりと、一番後ろの席で教師の話す言葉に耳を傾けているだけだった。 「この第三法則、テストに出すぞー」 教師は、やや間延びした言葉で言いながら公式を書いていく。読み上げられないそれに臨也は視線を送った。 一瞬だけ絡まった視線は、またすぐに解ける。 「……今の季節だったら、金星が見えるな」 独り言のように呟いて、窓の外を見る教師の視線を追って臨也も外を見上げた。 夏の、青く澄んだ空が眩しかった。 授業が終わると、何人かの生徒が教師の周りに集まって質問をしていた。 熱心なことだと横目でそれを見ながら教室から出て行こうとすると、呼び止める声があった。 「折原。お前、放課後に物理室来いよ」 教師にそう声を掛けられて驚いた。呼び止められたことにではない。 呼び止めることのあまりの遅さにだ。 「はーい」 教師のほうを振り向くことなくそそくさと臨也は物理室から出て行った。姿が見えなくなると、自然に薄い唇がひねくれた笑みの形を作る。 ずいぶん待ったなぁ。 そんなことを小さく呟きながら、軽やかな足取りで臨也は廊下を歩いて行った。 次 小説top |