閉鎖的空間 |
※カニバリズム もう無理だ。 そう思って俺は右手のフォークを机に置いた。かたん、と硬質な音に臨也が顔を上げる。 「あれ、全然食べてないよ、シズちゃん」 涼しげな声が対岸から聞こえた。けれども、それを俺は聞き流して俺は席を立った。その勢いでふらりと体が傾ぐ。俺はまだ、バランス感覚がつかめていなかった。上手く止血をしたつもりだから、たぶん左腕は腐り始めてはいないと信じているけれど。 「食べなきゃ、死んじゃうよ?」 その言外に含めたメッセージに気がつかないわけではなかったが、それでも俺は再び椅子に座ることはなかった。 そんなこと、俺にだってわかっている。分かりきっている。けれども、もう、これ以上俺は食べ進めることが出来ないのだ。 味付けの薄い肉。酸っぱいのか甘いのかさえ、麻痺した味覚には分からない。まずいのかも、それとも、美味いと自分が感じてしまっているのかも。 「…………腹、減ってねぇ」 かろうじて小声で返事を返せば、返ってきたのは陶器と金属がこすれ合う音だった。 二三歩歩いてソファーに体を沈み込ませる。深く息を吐き出した。のっぺりと天井が見返す。空腹で眠れるわけがないと知りつつも、眠っているふりをする。 ここまで歩くのさえ億劫に感じるほどに体力がなくなってきていることに、前から気がついていた。けれども、この閉ざされた部屋の中ではそれがいつであるのかなんて言うことはどうでもよいことだ。 臨也はまだ、テーブルの上で食事を続けていた。最後の一切れの肉を、切って刺して口に運んで咀嚼する。その顔はどこか愉悦を含んでいるようにさえ見えた。 その左腕を見た。 しなやかで細い腕だった。 俺の左腕を切断したのが3日前。今ではもう、肘関節は見る影もなく、腕は15センチほどになった。それを肉として調理したのが臨也で、その食材提供は俺。多分次は臨也の腕を俺が切ることになるのだろう。自分で自分の腕を切ったのと同じように。 固く眼を瞑る。現実から目をそらす事が出来たらどれだけ楽なんだろう。 さらりと顔にかかる前髪を払われた。冷たい指だ。ゆるゆると目を開ければ穏やかに微笑む臨也の顔があった。 「俺はちゃんと、美味しく食べてね」 赤い唇がそう囁く。聞いてはいけない悪魔の囁きだと理性が告げた。 狂ってる。けれどもそれに、小さく頷きを返してしまった俺も、もう狂っているのだ。 (2010/06/19) 小説top |