ブルーインブルー



朝の影は、青い色をしている。

そのことを平和島静雄は知っている。

彼の小さく狭い部屋を、青色が淡く照らしていた。その青はひんやりとしている。でも、冷たくはない。清浄な空気の色。壁紙も机も制服も、全てが青く染まっていた。水の底みたいだ。そう思ったことを覚えている。深く透き通る水の底は、こんな風にすべてがほの暗い青色をしているに違いないと。

はじまりは中学生の頃だった。
二年か、三年か、学年はもう覚えていない。けれども、その時の痛みを静雄はよく覚えてきた。成長痛と怪我の痛みだ。
彼は中学も後半になって急速にその四肢を伸ばした。ギリギリと骨と筋肉がこすれ合う音は、夜になると耳の奥から聞こえてきた。硬く目をつむって、薄い布団にもぐりこんでみても、その音は消えない。ぎりぎり。ぎしぎし。もちろんそんな音が実際に響くはずもないのだけれど、確かに静雄は四肢の痛みと共にそんな音を聞いていた。そして、音を聞けば聞くほど、眠気というものが彼方へと飛び去って行き、否応が無しに静雄を現実の世界へと引き戻してしまう。温かな布団から、冷たいコンクリートの世界へ。

身体の内側から音が響くのはいつも明け方の事だった。日が昇るか昇らないかという曖昧な時間に、不快な音は、どんなアラームよりも先に静雄の耳の中へ飛び込んでくる。そしてとたんに眠気は消え去り、彼はしぶしぶと無くなった眠気を探して瞼を開ける。もちろん眠気などというものは、とっくの昔に遠くへと行ってしまったので、目の届く範囲を探しても見つからないのだけれど。

そうして、そんな日々の中で、静雄は朝の影は青色をしていることをいつの間にか知っていた。

青。水の底。朝の影。ベッドの上から見上げる天井も、薄い青。

自分の吐く息も、青い泡になって、水に溶けて、そうしてそのまま全部がこの水の底に沈んでしまえばいいのに。

天井に向かって、腕を伸ばした。この指も、この足も、髪も、目も、手足の痛みも、昨日誰かを殴ったことも、折ってしまった電信柱も、背中を丸めて謝る両親も、ずっと笑わない弟も、すべて、すべて、消えてしまえばいいのに。

けれどそうして思っている間に、朝日は昇り、影は青色を失い、静雄は現実に取り残された。



軽快なチャイムの音で、静雄は目を覚ました。同時に響く、「宅配便です!」という若い男の声。中学生の時とは変わり、働き始めた静雄は六畳一間を借りて一人暮らしをしていた。休日の朝、静雄の代わりに宅配便を受け取ってくれる家族はいない。

布団から這い出て玄関へと向かい、スウェットのままで扉を開ければ、飛び込んできた明るい朝日に思わず顔をしかめる。

「平和島さんですね」

「……ッス」

「じゃ、ここにハンコかサインをお願いします」

「…………」

「ありがとうございます、失礼しました!」

そうして嵐のように宅配業者は過ぎ去っていき、静雄の貴重な休日の貴重な朝を邪魔された対価として残されたのは、一つの小包だけだった。

とりあえずちゃぶ台に乗せて、小包を見る。小包には綺麗な筆跡で静雄の住所が書かれていた。対して、差出人の名前も住所も書かれていない。静雄にはその小包が誰から届いたものなのか、何となく分かっていた。けれども、なぜこんなものを送ったのか理由が分からない。

軽く振ってみても、何かが擦れるカサコソという音がするだけだ。まさか爆弾では無いだろうかと思うものの、あいつが爆弾を送りつけるならばもっと早く送っていてもいいはずだろうと思い返す。
まぁ爆発したその時はその時だと考えて、静雄はとりあえず箱を開けることにした。机を前に長々と考え込むのは彼の性に合わない。テープを乱雑に剥がして中を覗く。

箱の中にあったのは、発泡スチロールと黒い眼鏡ケースだけだった。少なくとも爆弾のようでもないし、変なガスが入っている様にも見えない。眼鏡ケースを開けて見れば、サングラスが静かに収まっていた。普通のサングラスではない。薄い青色のレンズをしたサングラスだ。

サングラスを掛けろ、とでも言うのだろうか。この青色のサングラスを?
これを送ってきた意図が分からず、静雄は困惑した。そっと手に取ってみれば、それは見た目より華奢なフレームで、埃っぽく物が散らかった部屋から浮いた存在だった。
青は嫌いな色ではない。ただそれだけの理由で、一度くらい、これを掛けてもいいのではないかと彼は思った。気の迷いにも似ていた。


ブリッジを開いて耳の上に掛ければ、とたんに視界が青くなる。

窓から差し込む午後の光も、古ぼけたちゃぶ台も、はいざら代わりの空き缶も。なんだか普段の部屋とは別の場所に来てしまったみたいだ。
青い世界のなかで、静雄は考える。どうして、あいつはこんなものを、俺なんかに送り付けてきたのだろう。

やっぱり、捨ててしまおうか。そんなことを思って、静雄は掛けていたサングラスを外した。細いフレームに収まったそれを、握りつぶして不燃物で捨ててしまうことは、静雄にとって至極たやすいことだ。握りつぶして、捻りつぶして、跡形も無くしたところで、彼のてのひらには傷一つつかないだろう。けれど静雄は感情のままにそうしてしまうことが躊躇われた。捨てなくても、あるいは部屋の隅に放っておいたとしても、何もかもあいつの思惑通りのような気がしてくる。

どうしたものだろう。手の中に納まるそれに静雄は視線を落とした。レンズに静雄の影がうっすらと映った。
その顔はどこか幼い。昔の自分の顔のようにも思えた。
中学生の頃。痛みに喘いでいたころ。そうして思い出す、実家で見た朝の景色。冷たい空気。背中の軋み。今はもう成長痛なんて感じないどころか、怪我すらほとんどすることは無く、静雄が朝の四時に起きることなんてもう無い。もう無いのだけれども、青い硝子の向こうには、中学生の時に見た、あの水の底が広がっている。


捨てるのは嫌だと思った。嫌いなあいつからのものだったとしても、この青いサングラスを捨ててしまうのは嫌だった。自分の視界から、それらを切り離してしまうことは容易いけれど、それと同時に色々なものも失くしてしまうように思えた。思ってしまった。そしてそう思ってしまってからは、もうサングラスを掛けないという選択肢を選ぶことはできない。

静雄は元のようにサングラスをケースへとしまった。黒い革張りのケースは光を鈍く反射している。ちゃぶ台の上に置かれたそれは高級感を放っていて、けれど静雄の眼には先ほどよりはどこか部屋に馴染んで見えた。ただ単純に、見慣れただけかも知れないけれど。
もし、明日になって、気が向いたら。静雄は窓の方を見ながらぼんやりと考えていた。気が向いたら、仕事に掛けて行っても良いかもしれない。

日が傾き始めていた。部屋の中がだんだんと赤色に染まっていく。

朝の影と真逆の色。

そうしてだんだんと濃くなる赤が、誰かを思い起こさせて、静雄は遠く目を細める。













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