スピリタス 6



頭が痛い。内側から殴られているように痛い。いやむしろ痛いというよりも頭の中に鉛を流し込まれたみたいにずっしりと重たい。軽いのに変えられたらいいのに生憎脳っていうものは取り換えが聞かないらしい。

俺は二日酔いの頭痛をごまかして、そうしていつも通りに俺は情報屋の仕事をこなしていた。
パソコンをかまって、運び屋に荷物を頼み、学生をからかって、人を騙し、街を歩く。

夕暮れ時の新宿を踏めば、いつも通りに騒がしい音楽やざわめきが聞こえてきていた。
本来ならそれさえ心地よく効けるはずのBGMになりえたそれは、今日は気分が最悪なために苛立って仕方がない。まあ端的に言えば二日酔いだから気持ち悪くてイライラしているだけなのだけれど。早く家に帰りたいとばかりに痛みを訴える胃袋を抱えて俺は足早に人ごみをかき分ける。

どうせ俺がこんな風になっているところで、シズちゃんはさっさと復活して涼しい顔でたばこでも吸っているに違いないのだ。そんなところが酷くむかついて苛立ちのままにナイフを向けて、そうしてそのままあの体を掻き抱くことができたらいいのになぁと屈折した思いばかり抱えている。
いや、そんなに簡単じゃない。簡単なことじゃあないのだ。出会ってから今まで積み重ねてきた悪意や恨みや敵愾心なんていった、俺たちにこびりついているものは洗剤で擦って消してしてしまえるような、そんな淡泊で生易しいことじゃない。
たとえ惰性で動いているのだとしても、それまでの習慣から自分はきっとあの化け物の存在を認めないと声高々に主張し、ナイフを向けずにはいられないのと同じように、相手も過去のそして現在の被害に対する恨みから殴らずにはいられないに決まっている。

そうしてここまで生きてきたし、そうしてこれからも生きていくのだという底なしの沼の様な未来が見えた。

そう簡単に、何も変わりはしない。変えられはしない。

そう思ってきたはずなのに昨日は馬鹿みたいなことをしてしまった。
予測不可能な希望にすがった自分はなんて滑稽だっただろうか。酔った勢いなんて言い訳を言えたらもっとすっきりするだろうに、くっきりと思い出される甘い酒気。
きっとあの男は何も知らないままに紙を捨てるだろうし、万が一メッセージを見たとしても自分の書いたものだと気が付くはずがない。そして、気が付いたところでなんになるのだというのだろう。なんて下らない茶番だ。


かつかつとアスファルトに靴を響かせて俺はマンションに向かう。

珍しく池袋に行ったのに姿を現さなかった彼のことを、俺は頭の中で思い浮かべていた。
たぶんこのことは最悪な一日の中で唯一運が良かったことだ。昨日の今日なのだ。もしかしたら自分の予想に反してシズちゃんも二日酔いであの家の中でダウンしているのかもしれないなんて想像して小さく笑う。

埃と酒の匂いのした部屋で、昏々と、静かに眠る喧嘩人形。そうだったらいい。


ふと、顔を上げた。

マンションはもう目の前に見えていた。

硝子の向こうに金髪があった。紅色の陽光で銅色に光っていた。

なんだかシズちゃんみたいだ。その色から想像する人物をぼんやりと思い浮かべて、そして想像と視界に居る人物との類似点ばかり見つけてしまって。
そう、ちょうどあの白と黒のバーテン服の様な、その背格好も、まさに。

俺は狼狽しながら否定する。嘘だ。彼がここに居るはずがない。けれども、あんな頭の悪そうな金髪の住人なんかこのマンションにはいるわけがなく、自分の頭の中にはやはり一人の姿しか浮かんでこなかった。

はやる気持ちを押し殺しながら、自分は獲物を狙う狩人のように慎重にゆっくりとした歩みで自動ドアの前に立つ。進むたびに確信に近づいていた。ドアの開く時間がもどかしいく感じる自分とそれをいさめる自分が相反して拮抗する。
男は自分が入ってきたのを見ると紫煙をくゆらせたままでこちらをじっと見つめた。ブルーのサングラスを通さない鋭利な視線に、俺の体は小さく痺れた。

「何? 新宿まで取り立てに来たの? 残念だけど、このビルの中にはテレクラなんか利用する人物なんていないよ」

いつものような薄ら笑いを浮かべて、俺はいつものように男を馬鹿にする。こいつもいつものようにこいつもキレればいいのに。そうしたら鋭いナイフを取り出して、簡単に昨日のことを上書き出来そうな気がした。
シズちゃんは吸っていたたばこを隣の灰皿に乱暴にぐりぐりと押し付ける。見れば灰皿には何本もの吸殻が捨ててあった。
どれほど自分をここで待っていたのだろうか。無意識に胸がチリチリと疼く。

「借金取り立てに来たわけじゃねえよ。ノミ蟲、テメエだって理由くらいわかってんだろ」

「何の話かな? 俺にはシズちゃんと話すことなんてないよ」

「しらばっくれんな。あのメモ、何なんだ」

やはり聞かれるだろうと思っていた。それで先手を打とうとしたけれども何も浮かばない。ポンコツめ、肝心な時に動かない。
好きだと一言、言えたらいいのに。
言ってしまうことが出来たらいいのに。胸が張り裂けそうな思いというのはこういうことを言うのに違いない。このまま心臓を掴んで見せることが出来たら、彼は自分の言葉を信じてくれるのかな、なんて妄想ばかりが泡のように浮かんでは消える。

「……別に、何でもないよ」

結局俺は一歩も踏み出せず、ただ曖昧な回答をすれば、男は苛立ったのか「ああ?」と低音の凄んだ声を出した。ああ、失敗した。きっぱり否定すればよかったと後悔みたいなことを考える。そうしたら、メモのことをもう少し上手く誤魔化せただろうに、何を焦っていたんだ俺は。

一歩、踏み込まれる。じりじりと俺は後ずさる。

どうしてわかったんだ、あれは自分が書いたものだって。そしてどうして君はここにいるんだ。聞きたいことがあるのは自分の方だとよっぽど言いたかった。
分からないことばかりが蓄積していく。
たとえば君の思いだとか。

自然と目線は下がり、彼の黒のスラックスにこげ茶色の革靴がよく見えた。靴の先には細かな傷が何条も走っている。それが昨日引きずったせいだと気が付いて、俺はいたたまれない気持ちに包まれる。

出来ることならば逃げ出してしまいたい。それなのに、足は出来の悪い棒になって床に張り付いたままだった。

「テメエ」

また一歩。もうすぐ俺のナイフと彼の拳が交わる距離になる。
そうなったらどうなるのか、いくら考えても分からない。


「俺のことが好きなのか?」














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