スピリタス 2



酒のためだろう、いつもなら造作ないことであっても息が上がった。大きく息を吐き出したところで、彼の家が見えてくる。
自分の家とは比較にならないほどの古びていて家賃が安いことだけが取り柄アパートに、彼が何年も前から住んでいることを知っていた。錆びた金属製の階段を上って二階へとたどり着く。ガタガタという足音があたりにうるさく響いた。苦情が彼のもとに来ればいいのにと、そんなつまらない嫌がらせばかり願う。

目前に薄い扉を見据えたところで、さすがにこのまま上がるのも精神衛生上良くないと判断してここからは後ろの人物には勝手に帰ってもらおうと背中を揺らした。

「ほら、シズちゃん。家ついたから、」

「うう……」

シズちゃんは目覚めない。どうみても泥酔している。このまま揺さぶり続けて何かの拍子に自分の背中で吐瀉物でも吐かれたら困るなどと、言い訳じみたことを考えていることに気が付いて、自分は大きくため息をついた。
これだから、彼といるとままならないのだ、何もかも。

だらりと自分にもたれかかる、シズちゃんの息は熱かった。酔っているためだろう。はぁと吐き出されたそれは自分の首をぬるく湿らせる。

「……君が、起きないのが悪いからね」

聞いていない相手にそう言って、シズちゃんを背負ったままそのズボンを探る。右を探って、それから左を探れば硬い金属の感触がした。指先でつまんだそれを布の間から引き抜く。その間にもシズちゃんが覚醒する様子はない。
何か釈然としない気持ちを抱えながらもここで起きられてはめんどうなことになるだろうと自分に言い聞かせる。

無くても変わらないような薄いドアを開けば、狭い室内は窓から射す明かりだけで薄暗かった。電灯の位置など知らないのでその微かな明かりを頼りに足を踏み入れる。
部屋の中は意外にも整理されていた。というより、ものが置かれていないというのだろうか。六畳の畳には机と座布団と数冊の本くらいしか見当たらない。だからこそよく見えない中でも安全に歩けるのだが、質素というよりもあまりにも生活臭がしないそこに驚く。バーテン服や布団などは仕舞われているのだろうか。

とりあえず適当なところにシズちゃんを降ろし、自分もその隣に座り込んだ。ここで帰っても良いはずなのに、けれど、額にしわを寄せている彼を見ていると自分の中に得体のしれない奇妙の感覚が浮かんでくるのを感じた。これは、彼に対する嫌悪感だ。そんな風に切り捨てようとする。

いつの間にかうんうんと唸っていたシズちゃんの呼吸は寝息に変わっていた。眠る彼はどこまでも無防備に見えた。まるで簡単に殺されてしまいそうな風に。どうせ明日になってしまったら何も覚えてやいないに違いないのだ。俺のことも。

彼の髪は暗い部屋では白っぽく浮き上がっていた。その顔が比較的穏やかに感じるのは、それはいつも見ている顔が酷く獰猛なものばかりだからだろうか。

そろりと手を伸ばす。

指先が頬に触れる。
外気にさらされていたのは自分も同じだったはずだが、その頬は冷たかった。自身の熱で起きてしまわないかと一瞬不安に思い、けれども相変わらず安らかな寝息を立てていることに安堵する。

届かないように思っていた。
けれど、それに容易に手が届いてしまったことに秘かに戸惑う自分がいた。彼ならば、平和島静雄ならばきっとその敏感な嗅覚で自分の存在を知覚し、そうして排斥しようとするのだと思っていた。

触れた指先からゆっくりと痺れていく。
純度の高い酒のように、横たわる男は自分にとって毒だった。





 








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