てのひら |
※静雄が小学生、臨也が高校生 「今日から隣に引っ越してきます、折原です。あ、これつまらないものですけど……」 そう言って、臨也は手に持っていた綺麗に包装された包みを差し出した。 「まあ、わざわざありがとう」 そう言いながら、おばさんと言うには早すぎる女性が受け取る。それを見て、臨也は少しはにかみながら笑った。万弁の笑顔よりもこの方がこれくらいの年齢の女性に印象がいいことを、すでに臨也は知っていた。 「何かお引っ越し祝いのようなものを、あげられたらいいのだけど」 困ったように右頬に手を当てる姿は、まだまだ若々しく見える。その言葉に、慌てたようなふりをして首を振った。 「いえいえ、そんな。いいですよ」 こちらへの過度な干渉はごめんだった。 と、女性の後ろに小さな影があることに臨也は気がついた。ふわふわと揺れる色素の薄い髪が、女性の腰のあたりから飛び出ている。小さい手が、母親の長いスカートを握っていた。けれど、顔は背に隠れたままで見えない。 ――そういえば、この家には二人の子供が居るんだったっけ。 それを見て、ふと事前に調べていた情報を思い出した。高校生ではあるが、臨也すでにいろいろな所に網をかけ、近隣の家族について簡単に下調べをすませていた。人見知りなのだろうか。子供は母親の影に隠れるようにして、いつまでもきつくスカートをきつく掴んだままだった。子供には興味がなかったが、隣人との良好で無関心的な関係を築いていくのなら、良い印象を与えておいた方がいいだろう。 年齢は、たしか……、と思い出そうとしたとき、臨也が見ているものに気がついたのか、女性が後ろを振り返った。 「あら、静雄。どうしたの?」 おにいちゃんにあいさつする?そう女性が子供に聞いた。シズオ……。確か兄弟の兄の方で、年は小学1年生だったはずだ。 「お子さんですか?可愛いですね」 知っていることなど微塵も感じさせず、臨也は笑顔で当たり障りのないことを言った。顔も見えてないのに可愛いというのはまずかったかな。と片隅で思ったが、子供を褒められて嬉しくない親はいないだろう。 けれど、母親の声でひょっこりと顔を出した子供は、確かに臨也から見ても可愛いと表現できる顔立ちだった。一瞬、女の子なのかと見間違う。けれども、短く切られた髪の毛が少年だと主張していた。大きく黒い瞳が、臨也をじっと見つめる。 「ほら、静雄。臨也おにいちゃんにあいさつしなさい」 女性が小さな少年の頭をなでる。そんな母親を見上げてから、再び少年は臨也の方へ顔を向けた。 「……こんにちは」 変声期前の高い少年の声だった。緊張しているのか硬い表情のままで、小さな声だった。 臨也はしゃがみこんで、少年と目線を合わせると、にっこりと笑う。 「こんにちは。僕はおりはらいざやっていうんだ。よろしくね、シズオ君」 名前の部分をゆっくりと噛み砕くように言う。すると少年は、一瞬のうちに顔を赤らめたかと思うと、すぐに母親の背に隠れてしまった。 「ごめんなさい、恥ずかしがり屋さんなの。もう一人、この子の下にも子供がいるのよ」 ゆっくりと慈しむように息子の頭をなでながら、女性は微笑んだ。 「あ、これ、もしよかったら」 そう言って、臨也は立ち上がりながら、前日に準備していた飴玉をポケットから取り出した。子供がいると聞いて準備していたことを思い出したのだ。 「まあ、ありがとう」 女性は二つの飴玉を受け取ると、一つを背中の少年に渡した。少年は両手でその飴を受け取ると、珍しいものでも見るかのようにじっとそれを見つめた。 「ほら、ありがとうは?」 女性がそう言うと、一瞬少年はビクっと震えて、恐る恐る臨也を見上げる。臨也としてはなるべく優しく言ったつもりだったが、怖がらせてしまったのかもしれない。 ――まあ、別にいいか。変に懐かれても困るだけだし。 そんな事を思っていた臨也の意識は、少年の声によって引き戻された。 「あ、ありがとう。おにいちゃん」 先ほどよりも大きな声で、少年は言った。見れば、頬を再び真っ赤にさせていた。リンゴのようだと臨也は思った。 ――どうやら、嫌われているようではないみたいだ。 下にいる二人の妹のことを思い出す。おにいちゃんと呼ばれるのも悪くないのかもしれないと、臨也は思った。 次の日、高校に向かうために臨也が玄関から出ると、門を通りかかる影があった。 大きなランドセルを背中に背負った少年だった。小さな体と比べると、不釣り合いなランドセルで、まるで少年の方がランドセルに背負われているようだと臨也は思った。 ――あれは、昨日の少年……。 確か名前は平和島静雄。小学一年生だったっけ。 そう臨也が静雄を見て思いだすと、静雄の方も玄関から出た臨也に気がついたようで、再び驚いたように体を震わせると、顔を真っ赤にしてじっと臨也を見上げたまま、立ち止まってしまった。そして、なぜか急いで左手を後ろに隠す。 その行為を不思議に思いながらも、一応挨拶でもしようかと思って、臨也は静雄に近づいた。じっと臨也の顔を見つめる静雄は、だんだんと顔をあげる角度を上に変えて、最後には真上を見上げているようになる。 「こんにちは。静雄くん」 しゃがみながら臨也は言う。まだポケットに飴玉があるかと探ったが、昨日渡した二つだけしか入っていなかったようで、ただほつれかけた糸の感触しかなかった。 「こ、こんにちは……」 消え入りそうな声で、静雄も挨拶を返した。隠された左手はそのままだ。 「どうして、左手を隠しているの?」 何か見せたくないものでもあるのかと、臨也は疑問に思ったが、昨日会ったばかりの人間に見せたくないものなど、臨也には想像がつかなかった。 「あっ……、えとっ、これはっ、その……」 慌てたような少年の声。そして、静雄が恥ずかしそうに俯くと、臨也へ静雄の旋毛がのぞいた。 「見せてくれる?」 そう臨也が尋ねると、そうっと下から覗き込むように静雄が臨也を見た。迷うかのように何度か大きな瞳を瞬かせたが、ゆっくりと左手を臨也の方へ向かって出す。細くて小さな腕だと臨也は思った。 そして手のひらを広げる。そこには黒いマジックで大きく文字が書かれていた。 『おりはらいざやおにいちゃん』 静雄が一生懸命書いたのだろう。その文字はいびつでぐにゃぐにゃに曲がっていた。小さな手のひらには大きすぎたのか、はみ出して手の甲の方まで黒い線がのびていた。へたくそな文字はなかなか読みとることはできない。 けれども、臨也は自分の方も顔が赤くなったことが分かった。それを隠すかのように手で口元をおさえる。そうでもしなければ、きっと顔がにやけてしまうような気がした。 ――どうしよう、可愛い。 手のひらを見て何も言わなくなった臨也に、静雄は馬鹿にされたと思ったのか、慌てて、 「こ、これはお母さんが、いざやおにいちゃんの名前を忘れないように書くように言ったから、書いたんだからなっ。自分から書いたんじゃあないんだからなっ」 書くように言われたから、自分で書いたの?お母さんに書いてもらうことだってできたのに?そう静雄に尋ねることは簡単だったけれど、臨也は何も言わずに、優しく静雄の頭へ手を置いて、やわらかな髪をくしゃくしゃとかき乱すように撫でる。 「名前を書いてくれて、ありがとうね。静雄くん」 微笑むと、静雄は恥ずかしくなったのか両手で半ズボンをギュッと握りしめて、下を向いた。 「べ、べつに、いざやおにいちゃんのためじゃあ、無いんだぞっ」 じゃあ誰のためなのとは聞かずに、再び臨也は静雄の頭を何度も撫でた。 小説top |