せめて、誰かを傷つけないように



「駆け込み乗車は――……」

お決まりの言葉を聞きながら、静雄はぱちんと携帯を閉じた。

揺れる車内で慣性に抗うように、バーをつかんでいる左腕を引く。長身の静雄には吊革はあまり意味を持っていない。目線の先で頼りなさげに左右に揺れるそれをつかむよりは、むしろそれを固定する金属のバーの方がはるかに安定しているというものだ。そして今日も、込み入った車内で静雄は左手に無機質な冷たさを感じている。

電車は苦手だ。密室の中で人々は指し示したかのように無言で居て、それが酷く重たいもののように感じてしまう。毎日の通勤で慣れてきたとはいえ、何度経験しても離れない感覚だった。
苛々しそうなときは深呼吸しろ、少しは落ち着くべ。そう言った上司の言葉を思い出して、静雄はゆっくり息を吐き出した。粘りつくような密度の高い空気は、しかし絶えず辺りに漂い続けている。

やはり、電車は苦手だ。

流れるように過ぎ去っていた窓からの景色が次第にはっきりしてきて、静雄はまた左腕を引いて体を支える。

「池袋、池袋――……」

待ち望んだ駅名を告げる声とともに、扉が開かれた。

押し出されるような形で人に流されながら、静雄は終始、右手で握りしめていた携帯電話を開いた。真っ黒な画面が反射する。ボタンを押して電源を入れれば、メールが一通届いていた。
静雄の携帯にメールをする人物はほとんどいない。それは静雄の限られた交友関係では実際に会って話をする方が早くて楽なのであるのと、そして静雄がメールと言う物を好まない事に起因していた。
いぶかしみながらもメールを開けば、その途端、酷く熱い怒りが静雄の体をうねった。

クソッ。

そんな悔しさがわき上がり、反射的に左手で右手を掴む。そのお陰で携帯を握りつぶさなかったのは、高校時代からの成長なのだと思いたい。

後ろを振り返れば、動き出した電車の窓からにやにやと笑いながら手を振る臨也の姿が見えて、「クソッ!」と今度は口から言葉が出た。追いかけて一発殴ってやりたいがいかんせん多すぎる人ごみは、それこそ濁流のように出口へと向かって静雄の体を飲み込んでいく。
遠ざかる列車を見ながら、羞恥と後悔がないまぜになった感情が押し寄せた。



『優先席の近くだから電源を切るなんて律儀だねシズちゃんは』







「優先席付近では携帯の電源をお切りください」








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