若葉と僕



※大学生妄想





五月の風が吹いて、ケヤキの細い葉を揺らした。葉の擦れるざわめきが頭上から聞こえる。顔を上げればまだ若い葉を茂らせたケヤキが道筋に並び、美しい萌葱色を見せていた。

ざわり。また風が吹く。

そうしてまた臨也の髪を揺らす。

顔にかかるそれを臨也は払いのけた。
なんで染めないのぉ、ぜったい臨也クンなら似合うのにぃ、とクラスメイトから言われることも多々あったが、臨也は爽やかな笑みを浮かべて黒髪の方が好きなんだと答えるだけに留まっている。自然なのに有無を言わせない笑顔に大抵の人間は無意識下で納得して、また適当な話題に移り変わるのが普段であった。

辺りには疎らではあったが歩いている人々がいた。どこに向かって歩いているのかも正確には分からないが、その景色をぼんやりと眺めて、服装から、漏れ聞こえる言葉から、どんな人物なのかを考えるのが臨也の趣味であった。
数少ない知人には悪趣味だと常に指摘されていたが、黒髪と同様にもはやそれは臨也の中で変えようのないアイデンティティの一つとなっている。

ふと、道なりに並んだベンチの一つに陽光に鈍く反射する金髪を見つけて、臨也は顔をゆがめた。ああ、面倒なものに出会ってしまった。
次の講義に出席するには通らなければならない道であり、そうして迂回している時間的余裕も無いので必然的にその前を通らねばならない。出そうになった溜息をかみ殺す。
しかし近づいていくと分かったのだが金髪――もとい平和島静雄は眠りこけているらしく、色あせたベンチにもたれかかってうつらうつらと頭を揺らしていた。五月ではあったがこんな野外で、かつその隣で鞄も開け広げている姿になんて無防備なのだと思わずにはいられなかったのだが、学内での噂を知らぬものはいないのだろう。触らぬ神に何とやら、だ。

足音を立てぬように気を配りながら、臨也は静雄へ近づいた。ゆるやかな風は黒と金の髪を撫でて行った。
静雄の前に立てば、そこはもう手を伸ばせば容易に届く距離で。辺りをそっと伺えばしかし、疎らにいた人々も講義が迫っているためか見当たらなかった。
本来ならば臨也とて、こんなところで足を止めているべきではないのだけれど。

目の前にいる、静雄は起きない。穏やかな寝息を立てている。
慎重にその金糸に手を伸ばす。堅い髪の毛の感触。それは懐かしいものだった。

誰にも言ったことは無かったが、臨也は静雄の髪が好きだった。天敵の唯一の美点と言ってもいい。ごわごわしていて指を通さないそれは、本人と同じく他人からの接触を強く拒んでいるようだ。それを、起こさないように臨也はゆっくりと触れる。優しさが籠もっていると錯覚するほど、ゆっくり、丁寧に。

高校時代は嫌というほどの隙を利用して触れる事が出来たのに。学部も学科も違う二人が学内で出会う事など、予定を合わせなければまず万が一無い事だった。
それでも時折、視線の端にひっかかる金髪を目がかってに追いかけているのは高校時代の慣習、あるいは習性が残っているからだろうか。もう一年以上たったことであるのにそんな言い訳じみたことを臨也は未だ自らに言い聞かせている。

木々の葉が擦れる音はまるで細波だ。
海の底のように木漏れ日はゆらゆら揺れて、静雄と一緒に海に沈んでしまったのだと臨也は小さく笑う。
遠くでクロバトの鳴いた声。もしくはどこかから聞こえる歓声。それらは酷くかすんで聞こえて、余計にふたりぼっちになってしまったように思われた。

静雄は起きない。だから、臨也はその髪の毛を指に絡ませることが出来る。初めに臨也が髪に触れたのは、丸きり偶然の産物だったが、今でもその幻想は手に張り付いたまま取れていなかった。
触れるそれは脱色し過ぎたために酷く乾いていた。捨て犬の尻尾のような寂しい髪だ。梳きながら浮かぶ、昏い優越感と密やかな劣等感。
この間だけは、この恐るべき化け物を手なずけている錯覚を抱くなんて。そんなことはありはしないと知っている癖に。

もうとっくに始業時間は過ぎているだろうことを頭の隅に思いながら、そんな大した講義ではないのだと思い返す。
大学がこんなにつまらないところだとは思っていなかった。出来ることならばさっさと辞めてしまって、もっと多くの事を学び研究できる所へ進みたいという意思もあったが、しかし、二年になってもまだ臨也は退屈過ぎる講義を大人しく受け続けている。

木の葉の作る影が静雄の白い肌を薄い緑色に染めていた。
春と言っても強い紫外線があるというのにその肌には日に焼けた痕は無く、うすく赤らんでいるだけだった。
こんな風に臨也のなすがままになっている状態など、珍しい事だ。けれど、どこか物足りなさを感じてしまうのは、出会った時にはいつも聞こえる罵声と拳が無いからだろうか。あるいはあの、鋭い牙のように突き刺さる視線が。

――起きてほしいような、ほしくないような。

自分らしからぬそんなディレンマに笑みをこぼしながら、臨也は静雄の髪を強引に掻きあげた。手のひらがしっとりと汗ばむ肌に一瞬だけ触れて、普段は隠れている耳が露わになる。柔らかそうな耳朶に顔を近づけてそっと囁いた。

「狸寝入りはやめなよ、シズちゃん」

そうして素早く手を離して、静雄の元から駆けだした。風は淡い緑色をして、臨也の隣を追い越していく。若葉の頃など二人はとっくにすぎ去っていたが、こんなママゴトみたいな時間はけれど嫌いじゃない。

彼の顔が見えないのが唯一の心残りだと右手をポケットに押し込みながら臨也は思う。その右手はきつく握られていた。

ああ、あの髪の感触を忘れることなど、永遠に出来はしないのだ。







企画「eclipse」に提出させていただきました。








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