罰として、お前ら二人でプール用具室の掃除な。別に先生が面倒くさいとか思ったワケじゃねえぞ。でも理事長には掃除やらされたってチクんなよ。 おととい、そんなことを担任である体育教師に伝えられた。熱すぎるタイプではなく、別段冷めているようでもない、飄々とした性格。しかしながら面倒くさがりであった先生は、遅刻指導や成績不振に託け度々面倒な作業を生徒に押し付けた。静かに穏やかな生活を送っていたわたしにとって、先生の横暴とは無縁とも言えていた。が、たった1枚のプリントを忘れたためにすんなりと捲き込まれてしまった。我ながらなんとも絶妙なタイミングで失敗したと思う。よりによって噂の彼と一緒に掃除を頼まれるなんて。 そんなことを考えつつ、ぺたぺたと裸足特有の音をたてながらプールへの階段を登る。この学園には管理の行き届いた快適な室内プールに加え、もうひとつプールがある。日除けも温水シャワーもない、屋上に設置された単なるプール。そこに掃除を任された第2プール用具室は併設されている。メインとして使用される室内プールに比べ設備は劣っても、第2プールのレトロな雰囲気がわたしは好きだった。ギイ、と鈍い音とともにアルミのノブを押す。開いた隙間から流れてきた風には、塩素のにおいが鼻につく。屋上には鮮やかな光景が広がっていた。雲ひとつない快晴に、陽を受けて輝く水面。久しぶりに眺めるプールに、夏が来るんだ、と、胸がさわいだ。 「お、来た」 突然上がった声に、びくりと肩が揺れる。声のする方向へと視線を向ければ、そこには今日一緒に用具室清掃を行う予定の彼がいた。そんな彼とは、入学早々遅刻を重ね、授業中は基本居眠り、行動がいちいちダイナミック、この学園になぜ入学できたのかと思えるほどの学力など、数え挙げればキリがないほどの謎の行動を起こす。これらの点から"なんか変な人"と、クラスでもっぱらの噂の、奥村燐くんであった。 「奥村くんもう来てたの?」 「おう。ひまだったから」 「待たせちゃってごめんね」 「いや、おれも来たばっか」 よいしょ、と言いながら奥村くんは立ち上がり、にかりと歯を見せて笑った。奥村くんを若干警戒していたわたしは、そんなフランクな姿に少し驚いた。だって、もっと変だったり、怖い人なのだと思っていたから。 「あっちいし、さっさと終わらせよーな」 そう言って、奥村くんは用具室へ足を進める。その背中は少しだけ汗で濡れ、ワイシャツが張り付いていた。 : : 「はー、やっと終わった…」 「結構時間かかっちゃったね。お疲れさま」 脱力したようにだれる奥村くんに言葉を返しながら、プールサイドの壁に掛かる時計を覗く。時間はお昼時となり、掃除にそれなりの時間を要したことを知る。せっかくの休日のほとんどを、労働に費やしてしまった。そう考えると、なんだか損をした気分になる。けれどこの数時間で、彼について初めて知ったことがたくさんあった。今日は先日返却されたテストの点が悪すぎて、用具室掃除をやらされたこと。そして、お掃除や整頓はあまり得意じゃないらしい。その他にも特進クラスに通う弟くんがいることやペットの猫のことなど、色んなお話をした。 そんな他愛ない交流の節々から、奥村くんは優しいひとだと知った。重い物があれば進んで運びだしてくれたり、距離のあるごみ捨て場と用具室とを何度も往復してくれた。毎日のお弁当も、弟くんの分も含め奥村くんが作っているという(このお話のときは、とても自慢気だったけれど)。 「なあ、プールっていつからやってるんだ?」 「…確か、休み明けの週からだったはず」 「よっしゃ、一番乗りだ!」 嬉しそうに声を上げながら、奥村くんはプールへ向かってジャンプした。わたしは奥村くんの姿を、ぽかんとしながら眺めるだけ。わたしが驚きの声を上げたころには、ぴんと張られていた水はばしゃんと激しい水しぶきをあげていた。空いた口が塞がらない、とはまさに今のわたしを指すのだろう。 「つめてー!」 「お、奥村くん!?制服のままなんて怒られちゃうよ!」 「大丈夫だって!冷たくてきもちーぞ」 慌ててプールに駆け寄れば、奥村くんは制服が濡れることも厭わずに水中を歩き回っている。両手で水を掬ってはすげーと声を漏らしたり、泳ぎだしてみたり。プールではしゃぐ奥村くんはすごく気持ち良さそうな顔をしているので、わたしまでうずうずしてしまう。足だけでも、入っちゃおうか。そんな好奇心に負けたわたしは、水にぽちゃんと静かに足を浸けた。冷たい膜に包まれるような感覚が、気持ちいい。 「お前もさ、入っちゃえよ!」 「わ、わたしは足だけでいいよ」 「んなこと言うなって」 ほら。奥村くんの楽しそうな声に続き、思い切り引かれた右腕。えっ、なんてすっとんきょうな母音が飛び出した。崩れたバランスを一瞬で立て直せるほどの運動神経を持ち合わせていないわたしは、奥村くんのびくともしない強いちからに導かれるまま水面へ飛び込んだ。突然の衝撃にばしゃんと激しい水しぶきをあげながら、みなもはゆらり揺れる。飛び跳ねた水粒は髪や制服にぱちぱちと当たり、じんわり染みていった。あまりにも突然の出来事に動揺したが、気がつけばわたしはプールの底へ足を着けていたのだった。 「おっ、くむらくん!」 「ん?」 もちろん、髪や制服はじっとりと濡れてしまっている。裏返り気味の口調で彼の名前を呼んだまではいいが、予想外の出来事、ハプニング。頭の中がいっぱいいっぱいで、うまく思考が纏まらない。なんでこんなことしたの、とか、制服どうするの、とか、そんな言葉ばかりが脳を行き交う。けれど、当の彼はぱっちりとした青い瞳でわたしを見つめるばかり。こんなにも心底不思議そうな顔を向けられては、文句を言う気も起きなかった。 「…ううん、気持ちいいね」 「だろ?」 得意気で、それでいて嬉しそうに奥村くんは顔を緩めた。細められた目に、自然とわたしの顔もゆるむ。 「夏って、楽しいよな」 そう言って、濡れた髪をくしゃりとかきあげる奥村くんの姿に、どくどくと鼓動がはやる。じりじり肌を焼く太陽も、少しだけ重くなってしまった制服も、ぜんぶがわたしを駆り立てて。こんなにもどきどきしてしまうのは、きっと太陽のせいだけではないんだろう。自然と熱くなる頬を、濡れた右手でぱたぱたと扇ぐ。気休め程度の生温い風は、なかなか熱を奪うことをしなかった。 このあつい日の出来事が、きみとわたしの夏のはじまりでした。 Thanks オデットの追憶 ドリーミングフォーエバー/20120817 |