「僕さ、守りたいんだ。兄さんも、塾のみんなも、君も」

曇りの見えない、はっきりした口調。普段どおりの口ぶりで発せられたこの言葉は、雪男の口癖のようであった。とくに彼が祓魔師となってからは、顕著に発せられている気がする。こんな発言をしなくても、雪男はいつもたくさんの何かを抱えているというのに、それ以上に何もかも抱え込もうとするから質が悪い。今も雪男を見れば、遠くを見ているような瞳をしている。

「…守ってくれるのは、嬉しい。けど、雪男が心配」

自分の口から出たのは、思っていたよりもか細い声。雪男は一瞬、驚いた顔をしたと思えば、珍しくケラケラと笑い出した。けっこう真面目に言ったつもりだったんだけど。そんな思いをのせて送った睨みの混じる視線に、雪男は困ったように笑った。

「ごめん、なんかつい嬉しくて」
「雪男のばか」

隣に座る雪男に背中を向けるように、顔を背ける。持て余した視線を空に送ると、そこには橙と紺のグラデーションが広がっていた。綺麗な景色にひとつ感動でもしたいけれど、背中越しに聴こえる押さえた笑い声にそんな気持ちも薄れてしまう。しかし数秒後、雪男の笑い声はぷつりと消えた。わたしたちの座るこの丘は普段から人気が少なく、今もわたしと雪男以外に人の姿は見当たらない。あたりはしんと静まってしまった。ひっそりした静寂が、ゆっくり広がる。

「ね、こっち向いて」

不意に肩を引かれ、雪男と向き合う体制となった。…さっきまではあんなに締まりのない顔をしていたくせに。再び交わった視線は、反らすことなんてできないくらいまっすぐで。

「好きだよ」

緩く弧を描いた口元で、甘い言葉を紡ぐ。雪男はずるい。表情とたった一言で、わたしの気持ちをするする解いてしまう。わたしも雪男が好き。そう告げれば、雪男はわたしをそっと抱きしめて愛おしそうに目を細めた。この笑顔にわたしはいつもほだされてしまう。
お前は雪男に甘い。奥村燐はわたしを見て、よくぼやいていた。わたしからすれば、雪男に甘くした覚えは全くないのだけど。すっと近づいた雪男の顔は柔らかい笑顔を浮かべ、それから少しだけ苦しそうに眉を寄せている。ゆっくりと、わたしは目を閉じた。

「ずっと、守るから」

雪男は暖かい。わたしを包む腕も、触れるだけのキスも、雪男がくれるものはどんなものだって暖かい。そんな雪男の側に、わたしはいつまでも寄り沿いたいと願った。







空は雲に覆われた。走り続けたわたしがたどり着いたのは、あのときと同じ、人気のない丘。あたりに転がるのは複数の人。それも、真っ黒い服を着た、所謂祓魔師と呼ばれる人。ぴくりとも動かない各々からは赤黒い液体が溢れている。独特のにおいに埋め尽くされた景色。そこにぽつり、雪男はいた。雪男の持つ銃の銃口から細々と上がる煙と、所々に散らばる潰れた弾丸がこの光景の真実を物語っている。

「僕は、行くよ」

灰色の空を仰ぎながら、確かに雪男は言った。わたしはその言葉の意味が解らないほど子供ではないし、馬鹿でもない。それでも無意識のうちに握りしめていた両手には、自らの爪が痛々しく食い込んでいた。ふと、気だるげな視線が絡む。いつのまにか、雪男はわたしの目の前まで近づいていた。

「ここにいても、僕の夢は叶えられないんだ」

そう言って、雪男はつまらなそうにため息を吐く。雪男の夢を、わたしは知っていた。知っていたはずだったのに。滲むように熱くなった目頭を拭えば、雪男は優しく笑う。わたしに向かって出されたのは、雪男の白い手だった。

「一緒に行きませんか」

にこり、眼鏡の奥の青い瞳が怪しく光る。雪男の笑顔はいつだってわたしを惑わせてしまう。ぐるぐると思考を繰り返し浮かぶのは、わたしを好きだと言った、みんなを守りたいと言った雪男。あの時の暖かい、温度。

「わたしは…」

ああ、わたしはやっぱり甘ちゃんだ。どう考えても雪男をひとりにすることなんて、できない。この呼吸が止まるまで、離れられないのだ。伸ばされた手にそっと手を重ねれば、ゆっくりと包まれる。雪男の手は冷たかった。

わたしは彼を救えない。弱いわたしにできたのは、ただ彼の側にいることだけでした。



Thanks アルテミスの讃美歌
より

誰もしらない二つの落下/20120302
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