一番古い記憶は、両親の笑顔だった。私と同じ黒髪に黒目。ちいさな私の手を大切に握る、両親の手はとても温かかった。しかし突然、そのあたたかさは消えてしまったのだ。寂しい。純粋な気持ちだった。



そんなことを思い出しながら、汚い笑いを浮かべる汚い大人を睨み上げる。陽の陰る夕方に、今私がいるのは人通りの少ない都の地下街。状況は、最悪だ。

「おじさん、どいて」
「おお、そんなに睨んじゃってこわいねえ」

行き止まりとなった水路に追い詰められていた。壁にぴたりとついた背中には嫌な汗が伝う。おじさんとの距離がじりじり縮まるなか、数時間前の自分の行動を呪った。たった少しの寄り道がこんなことになるなんて。

いつも通り、私は朝から都で薪を売っていた。私の容姿はこの辺では珍しいらしく、たくさんの人が薪を買い、お菓子をくれ、話相手をしてくれた。安全に寝る場所だって、政府の施設があった。おかげで、毎日の生活にこれといった苦労はなかった。そんな平坦な毎日のわずかな楽しみが、探検だったのだ。そして今日、初めて足を踏み入れたのは地下街だった。怖い大人がうようよする地下街は、驚きも恐怖も、すべてが興奮材料だった。そんな浮かれた私に、1人の男が近づいていたなんて気がつくはずもなかった。

水路に追い込まれた私は、息が切れるまで走った。足はがくがくと揺れ、心臓がうるさく鳴る。夢中で走り続けた先にあったのは、無情にも行き止まりの壁だった。

「あいにく、こんな上玉を逃がすわけにはいかないんだよ」

だからおとなしくしてね?がっしりと両肩を掴まれて、顔が寄せられる。鼻に息がかかり、濁ったブラウンの目が近づく。やだ、気持ち悪い!恐怖のあまり、声のかわりに私からは涙しか出ない。いやだ、いやだ、いやだ!

「おい、そこの汚いオッサン。何やってんだよ」

しいんとした水路に響いたのは、口の悪い、男の人の声だった。私の肩から手を離したおじさんは、私に背を向けるように振り返る。途端、おじさんの足はぱしん!と高い音と共に払われ、大きな体はばしゃんと水柱を上げながら水路に落ちた。呆然とその様子を見ていれば、急に腕を引かれる。現状に頭が追いつかず、無意識に足だけを動かした。

水路から数百メートル離れたころ。ふっと上げた視線の先には、先ほどの声の主であろう男の人が短い黒髪を揺らしていた。一体、誰なのだろう。私の視線に気づいたのか、黒髪の男の人は振り向く。

「余所見するな!前だけ見てろガキ!」

激しい叱咤を吐いた男の人の眉間は、険しく寄っていた。




prev next

bkm
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -