「…………」
先程まで事務仕事をしていた保険医は席を外し、今この空間にいるのは俺と棗だけだった。
窓から入り込む風に揺れる前髪は、あの頃と変わらない。
思わず触れたその体温も。
「…、ん」
「起きたか」
「……鬼道?」
眩しさに目を細めた棗から紡がれた俺の名は、あの頃とは違う。
ただ無邪気に笑っていた子供の面影を目の前のこいつに重ねることは難しかった。
(俺も、)
俺も変わってしまったのだろうか。
不思議そうに此方を見遣る棗に、ふとそんなことを思った。
「ベンチで突然寝たんだ、お前は」
「え。あー…それはごめん」
「疲れているのか?」
「いや、別に…鬼道が運んでくれたのか」
「ああ」
「そっか、ありがとう」
天井を見てぼんやりする棗に、
俺はゆっくり口を開いた。
昔々の話をしよう
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