目を覚ますと部屋の中は暗闇に包まれていて、まだ夜中なのだと理解した。はっきりとは思い出せないが、誰かに頭を撫でられていた気がする。恐らく夢でもみたのだろう。あの温かくて優しい感覚は、ミストガンによく似ていた。


(ミストガン…また無理してないと良いけど)


彼は働き者だから、しばらく会っていないと心配になってくる。目を閉じれば、浮かぶのは鮮やかな青色だ。ミストガンと初めて会ったのは、湖の畔だった。大きな穴に吸い込まれ、目が覚めた時には全く知らない場所に飛ばされていた。見知らぬ土地で、これからどうしよう、と混乱していた私を助け出してくれたのはミストガンだった。彼の髪の毛が湖の反射した光に照らされて、綺麗で見惚れてしまったのを今でも覚えている。優しくて頼り甲斐のある彼の背中を、無意識のうちに追っていたのかもしれない。彼のことを考えているうちに、私は再び眠りについた。




「やはり、いずれはここを出ていくのか…」

「そんな顔しないでよ、エルザ。永遠の別れじゃないんだから」

「寂しくなるが…なまえが決めたことだからな。私はお前を応援する」

「ありがとう。エルザ大好き」


私の予定では、あと3ヶ月後をめどに城を出ていくつもりでいる。住む家はまだ探していないが、仕事はとりあえず見つけた。私に良くしてくれた人たちには感謝してもしきれない。


「じゃあエルザ、お昼休憩もそろそろ終わるし、私は仕事に戻るね」

「ああ。また後でな」


エルザと別れた私は、階段の掃除を頼まれていたので掃除用具を持って持ち場へ向かう。階段の掃除は意外に大変だが、ピカピカになった階段を見るのは何とも言えない達成感を得られるので好きだ。お城でする仕事もやりがいがあって楽しかった。しかしそれも後少しで終わりなんだ。さて始めよう、と気合いを入れたのと同時に、後ろから控えめな声が掛かる。振り替えると、見慣れた顔のメイドさんだった。


「こんにちは、どうかしましたか?」

「仕事中にごめんなさいね。つい先ほど、王子がなまえさんをお呼びしていらしたので。王子はお部屋にいらっしゃると思いますよ」

「…ミストガンが、ですか?教えてくれてありがとうございます」


メイドさんに持ち場を変わってもらい、なるべくゆっくりとミストガンの部屋に向かう。私に用事でもあるのだろうか。正直に言うと、今はあまりミストガンに会いたくなかった。彼が結婚すると知って少なからずショックを受けたのだ、私は。それ以来ミストガンとは会っていないし、モヤモヤしたまま気持ちのまま彼と向き合う自信が無い。しかし、私は彼に呼ばれてしまえば会いに行くしか道はないのだ。目的地に到着してしまった私は、深呼吸をしてから大きなミストガンの私室の扉をノックして、そっと声をかけた。


「…ミストガン、居る?」

「なまえか?」


ミストガンは机に向かって何やら難しそうな資料に目を通していた。久々に会った彼だが、やはり無理をしているように見える。みんなの前ではそんな素振りは見せないが、彼だって人間だ。疲れが溜まっているのだろう。


「大丈夫?無理してない?」

「ああ、私は大丈夫だ。少し忙しいが」

「…ちゃんと睡眠はとってね。そうだ、ミストガン私に用事があるんでしょ?」

「…?私はなまえを呼んだりしていないが」

「え?」


どういう事だ。私は確かにメイドさんに言われてここに来た。何らかの手違いでもあったのだろうか。ミストガンの顔を見る限り、彼が嘘をついているとも思えない。


「メイドさんから言われて来たんだけど…。用がないなら戻るね、仕事がまだ残ってるし」

「行くな」

「っ…!」


ドアに向かうためミストガンに背を向けると、後ろからそっと手を重ねられた。しばらく降れていなかった彼の体温に、胸がきゅっと締め付けられる。他の男の人に触れられても何も感じないのに、ミストガンの前だと私はおかしくなってしまう。どきん、どきんと高鳴る鼓動が彼に伝わっていないよう祈りながら、私はそっと後ろを振り返った。