頑張って。周りから何回も言われた言葉だ。私は期待に応えなければならない立場で、自分にできる事はすべてやってきたつもりだった。勉強だってしたし、周りの望む“いい子”を必死に演じて。でも、どんなに頑張ったって周りは変わらなかった。
人間は努力の過程を評価するのではなく、結果を欲しがる生きものだ。そんなことは重々理解していたから、私は苦しかったけれどまた立ち上がった。でも、駄目な私は自分の壁をいつまでも越えられなかった。そんな私に対して周りは、頑張って、もっと出来る筈だ、と更にうるさく私に言った。
義理両親や義理兄は、そこまでうるさく私の重荷になるような事は言わない。寧ろ、斎藤家の人々は“健康に育ってくれればそれでいい”と私を優しく包みこんでくれるのだ。私にプレッシャーを与え続けるのは、他の親戚達だった。本来ならば、私は親戚のうちの誰に引き取られていても良かった筈だ。でも、斎藤家以外の親戚が私を厄介者扱いしていたのは確かだったし、斎藤家が私を引き取りたいと申し出た時はとても喜んでいた。──やっと邪魔ななまえが居なくなる、と。だから彼らは、私の出来が悪ければ斎藤家もそのうち私を嫌がって自分達に押しつけてくるだろうと危惧しているのだ。


私は通話終了のボタンを押して携帯を閉じると、深いため息をついた。通話相手は親戚のおじさん。内容はいつもと同じ。“ちゃんと勉強しろよ”だった。せっかくお風呂上がりですっきりしていた気分も台無しだ。亡くなった父と母は周りの反対を押し切って駆け落ち同然で結婚したから。私を厄介者に思うのは当然だろう。立場上私は期待を裏切る訳にはいかない。愛想をつかされるのは嫌だ、周りに自分が認められないのは怖い。再び大きなため息をこぼしベッドに寝転がると、部屋にノックの音が響いた。


「…なまえ、起きているか」

「に、兄さん?いいよ入って」


部屋のドアが開く音と共に、私と同じ風呂上がりの兄さんが部屋に入って来た。…風呂上がりの兄さんの色気がすごいのはいつもの事だ。今日は兄さんが遅くなるとの事だったので、夕食は最初に帰ってきた私が作って先に頂いた。だから兄さんと顔を合わせるのは朝以来で。


「どうしたの、兄さん」

「明日は朝練がある。俺はいつもより早く家を出る故、朝食は作らなくていい」

「分かった。じゃあ私も早く起きてご飯の用意するね」

「聞いていなかったのか?朝食は俺が用意する」

「いいよ、大丈夫。兄さんばっかりに忙しい思いはさせられないよ」


ね?と笑いかければ兄さんは言葉に詰まっている様子で。私だって少しは兄さんの役に立ちたい。


「しかし…」

「それにね、今日のお昼休み兄さんがお弁当届けてくれたんだよね?…ありがとう」


兄さんは私から礼を言われたことが意外だったのか、きょとんとしていたが、すぐに理解したらしく穏やかに笑ってくれた。私は正直、兄さんと学校で顔を合わせるのが苦手だ。なぜなら兄さんはもてるから。私が兄さんと一緒に居れば女の子達はひそひそ陰口を言うし、とにかく嫌なのだ。それに、私が兄さんの妹だとばれると女の子から『斎藤君のメルアド教えてくれない?』とか『斎藤君のタイプってどんな子?』とか色々聞かれて面倒くさいし。兄さんも兄さんで私が嫌がることをうっすらと気付いているらしく、学校ではあまり干渉してこないのが幸いだった。顔が整っていて成績優秀、運動もそつなくこなす兄さんがもてるのは当たり前だ。

「なまえ?」

「あ…ご、ごめん。考え事してた」


出来の悪い私のコンプレックスを一番刺激する存在だ、兄さんは。でも、私は兄さんを尊敬しているし疎ましく思った事など一度もない。彼は何だかんだ言って私に甘いのだ。兄さんは私の答えに何も言わなかった。沈黙は重く私にのしかかる。親戚から電話が掛かってきたことや、学校での悩みなんて兄さんに言える筈もなく。


「少しは肩の力を抜け」

「わ…!」

「体を壊すぞ」


私が気まずい雰囲気を発していたからか、兄さんは何も聞かずに私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。無遠慮な手つきだけれど、それはどこか優しくて。兄さんが私を慰める時、彼は必ず頭を撫でてくれるのだ。小さい子供じゃないよ、と反抗する気も起きず、私はただ黙っていた。