いつか罪に呑まれても

*カノキドセト


初めて女の人を綺麗だと思った。その女性は名の知れた貴族の令嬢で僕は平凡な家に生まれ、平凡な人生を歩んできた。職業はジオラマ師。簡単に言えば透かし絵の描かれた長い巻物を展示するという簡単な仕事をしていて給料はお世辞にも良いものとは言えなかったがなんとか生きていくには必要なだけの金は貰えた。そんな僕が彼女にあったのは町にある大きな教会だった。教会の神父様からの依頼でミサで見せ物として使ってほしいと頼まれたからだった。意外とこれはとても人気があった。当時娯楽が少なかったからかもしれない。
彼女とは仕事を終えてから出会ったと言った方が正しいかもしれない。目立たない色のローブを身に纏い、フードも被っていた。僕の視線に気づくといきなり立ち上がりとても面白かったです、と感想を言った。僕は絵の後ろから光を当てたものを観客に見せていただけなのだがありがとうございます、とお礼まで言われてしまった。そしてお辞儀をした拍子にフードが取れ、顔があらわになった。綺麗な緑色の髪と珍しい黒目に目を惹かれる。顔立ちはまだ幼い少女そのものでたぶん僕と一緒ぐらいだと思った。
次の日も、次の日も彼女はローブとフードを纏って僕のジオラマを見に来た。


「また来てくれたんだ」


「はい。私いつも部屋にばっかりいたので、暇だし。それに小さい頃に父に見せてもらったことがあるんですけどそれ以来ずっと頭から離れなくて…」


照れたように笑う彼女はとても愛らしい。僕なんかと違って清潔に保たれている様子を見るときっと彼女はどこかいいところのお嬢さんなんだろうなと思った。


「そういえばまだ名前聞いてなかったよね。僕はカノ」


自分のあんまり綺麗ではない手を差し出すのは少し気が引けたがやはり握手をするのが普通だろう。

「私はキド。よろしくね、カノ」

彼女は戸惑うことなく僕の手と握手をして笑った。それから彼女は毎日のように来た。そのたびに感想を言ってくれた。彼女は意外と負けず嫌いなところがあるし、妙に頑固だったり、たまに喧嘩早いところがあるのがまた可愛いと思う。会うたびに色んなキドの顔が見れるのが僕の毎日の楽しみになっていた。キドはあまり自分のことを語らなかったが僕は別にそれでもいい。自分の過去を話したがらない人間はこの町に数百といる。なにより余計な詮索をしてキドに嫌われることが一番嫌だった。

「あれ、キド今日は元気ないね?」


「いや、その…実は私、カノに隠してたことがあって」


よほど緊張しているのだろう。彼女の手は小刻みに震えていた。その手を片方の手で包むと震えがぴたりと止まった。


「私はこの町を治めている貴族の娘なの」


「え…」


どこかいいところのお嬢さんだろうなとは思っていたがこの大きい町を治めている貴族の娘さんとはさすがに気づかなかった。


「…幻滅した?」


「そんなわけないよ。むしろ納得。だってキドは凄く綺麗だし、可愛いし」


「……ばか」


顔から耳まで真っ赤にして睨まれても全く怖くない。むしろ、僕の胸のなかで愛おしさが広がる。僕はとっくに彼女に惚れていた。彼女を知るたびに、彼女と自分の違いを知るたびに、彼女との遠い距離を実感するたびに僕のなかで好き、が積もっていく。


「…キド」


握っていた手にぎゅっと力をこめる。伝えるなら今しかない。


「ここにいたんすか。キド」


男の声が教会内に響いた瞬間、僕の手とキドの手が離れた。離したのはキドの方だった。その事実に胸が少し痛くなった。


「……セト。なんでここに…」


「それはこっちの台詞っす」


キドは怪訝そうにセトを睨みつけているがセトは慣れたようにそう返した。そしてセトと呼ばれた男が僕を品定めするように見つめる。その視線に居心地が悪くなった。セトもキドと同じく僕と比べて綺麗な身なりをしていることから貴族のぼっちゃんなんだろうと分かった。鼻で笑われるかと思ったがセトは一人納得したようにうんうん、と満足そうに頷いてキドと僕を交互に見る。


「キド。この人と二人っきりで話したいから先に帰っててほしいっす」


「え…で、でも」


「馬車は教会の前に止めてあるっす」


キドは何か言いたげに僕とセトを見ていたがセトの有無を言わせない態度に諦めたのか渋々といった様子で教会から出ていった。


「さて、と…さっそくっすけどあなたにはキドのことを諦めてほしいんす」


「は…」


「俺、キドの許嫁で…はっきり言うとあなたのことが邪魔なんすよ」


あまりにもストレートすぎて少しびっくりしてしまった。きっとこの人は単純な人なんだなと思った。それよりも許嫁という単語にまた胸が痛くなった。まるで新しく出来た傷のようにズキンズキン、と痛みが大きくなっていく。


「キドと自分の身分の違いを考えたらすぐに分かるんじゃないんすか?」


「それは…」


返す言葉もなかった。身分社会であるため貴族は何かと世間体というものを重要視する。中には駆け落ちをした者もいたが心中をしてしまう人が今も絶えない。


「あなたはキドのこと好きっすか?」


「す、好きだよ!」


「どんなところが?」


「多すぎるけど、あえて言うなら強いところかな」


「キドが強い…?」


セトが目を点にする。まるで信じられないと言いたげに。


「うん、すっごく強い。とても貴族の娘さんだとは思えないぐらいに意志が強い。キドがいるとびっくりしちゃうぐらいに僕自身も強くなれる気がするんだよね。それはきっとキドの前向きな性格とか夢とかだと思うんだよね」


「…夢」


セトが自分に言い聞かせるようにぽつりと呟く。彼自身もなにか思い当たるところがあったのかもしれない。


「うん、キドはいつかこの町を出て色んな町を回って僕と同じようにジオラマ師になることが夢なんだって」


「そうっすか。…そんなこと俺、全然知らなかった」


セトが小さくそう呟いた。どこか傷ついた様子だった。


「僕はキドが好きで好きで大好きだから力ずくで奪うつもりだよ」

夢も希望も何も見いだせず、ただ淡々と日々を過ごしていた僕に夢や希望、生きることの大切さを気づかせてくれたキド。キドがいたから今の僕があり、キドがいればきっとこれからも僕は大丈夫だと確信出来る。


「…完全に俺の負けっすね。」


「…え」


あまりにもあっさりすぎて空いた口が塞がらない。


「キドのことよろしくお願いするっす!」


セトは僕に向かって頭を下げ始めた。僕は急いでその動作を止めさせる。


「キドにはきっとあなたみたいな人が必要っす。」


「そう、かな…」


「そうっすよ!あの、名前聞いてもいいっすか?」


「うん、僕の名前はカノ」


「カノ…。最後に友達になれて良かったっす」


「…セト」


***


僕とセトが教会から出ると教会のすぐ近くで腕を組んでイライラしているキドがそこにいた。


「…遅い」


「え、キド…なんで、家に帰ったんじゃ」


「キドのことだから大人しく家に帰るわけないっすよね。俺の考えが甘かったっす」


「セト、ごちゃごちゃうるさい。私、カノと二人っきりで話したいからそこにある馬車で帰ればいい」


キドの言葉にセトはやれやれといった様子で邪魔者はさっさと退散するっすよ、と馬車を走らせた。セトがいなくなって僕とキドの二人っきりになる。


「ねえ、キド。僕と一緒にこの町を出ない?」


キドの目が驚きで見開かれる。


「僕とずっと一緒に、隣で笑ってくれない?」


「はい…!」


キドの柔らかな体が押し付けられる。抱きついてきたキドの背中に腕を回し、強く抱き締めた。きっと大丈夫だ。これからも。キドと一緒にいられるなら僕は幸せだよ。





あとがきは文字数の都合上memoにて。
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