「いって…何もグーで殴ることないじゃないですか」
そう言って痛がっている素振りは見せるものの、握られた手が緩まることはない。
本当に痛いんだったら、少しくらい力が抜けたりしてもいいんじゃないか?
とは思いつつも、空いた右手で背中を摩る様子を見ると少しは痛ったようで、ほんのちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。
「…はい、着きましたよ」
俺が反省をしようとした矢先、目的のポチのアパートへ到着してしまったらしい。外観を眺める間もなく引っ張られて、階段の手前でやっと手を離された。
どうやら、上の階に住んでいるらしい。
二人分の足音を響かせながら、一段、また一段と目的の部屋へと向かう。
今更だけど、ここまで来てしまったことに後悔しつつ、緊張して早鐘を打ち鳴らす心臓を落ち着かせるために左胸の辺りをギュッと握り締めた。
「鳴海さん、ここ」
「あ、あぁ」
一足先に階段を上り終えたポチが小走りで向かった先には、一枚の扉。その扉を指差してそこが自宅だと教えてくれる。
肩から下げていたショルダーバッグの中から鍵を取り出して、鍵穴にさしてそれを回すとガチャリ、と、大袈裟な程大きな音を当てて鍵が開いたことを証明していた。
「さ、どうぞ」
「…おじゃまします」
家主に促されるまま中に入ると、意外にも小綺麗でシンプルな部屋だった。
「適当に座ってください」
笑顔で言いながら着ていたジャケットを雑に脱ぎ捨ててやや低めのソファーに放ると、台所の方へと行ってしまう。
そんなポチの一連の動作を横目で見つつ、遠慮がちに床に腰をおろした。
「あれ?鳴海さん、なんか大人しいね」
麦茶が入っているらしいコップを両手に持ったポチが台所から戻ってくる。
俺の姿を見るなり、普段は大人しくないとでもいうかのような台詞を吐くポチを軽く睨んだ。
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