次の角を曲がったら職員室へ続く渡り廊下に出る。

先輩、いるかな。

先輩のことを考える時だけ少し息が苦しくなる。体に血が勢いよく流れていくのが分かる。


―満足のラインを下げんなよ


分かってる、分かってるよ。
でもそんな勇気ないもん。
話しかける理由なんてないし、第一知らない人から声かけられたら誰だって引いてしまう。やっぱり話しかけるなんて無理だよね。うん。


そして角を曲がる。
先輩は、


「やっぱ、いないか。」


もう5時過ぎてるもんな。いるわけないよね。そんな物語のようなことあるわけないよね。私は映画のヒロインでもなければ、役者でも、なんでもないんだ。



―寂しくない?



「早く帰ろう。」

頭に浮かんだ疑問を無理やり掻き消して職員室へ急いだ。


******

「失礼しまーす。」

職員室の引き戸を開けた。強いくらいに香るコーヒーの匂い、鳴り止まないコピー機の音。この独特な雰囲気がいかにも職員室って感じで、あまり好きじゃない。さっさと済ませて帰ろう。


ティキ先生の机に向かって歩き始めた時だった。

「うわっ」

肩に衝撃を受けて持っていた書類を床にバラまいてしまった。最悪だ、絶対先生になんか言われる。慌てて散らばった書類を拾おうとしゃがんだら、いきなり頭上から声をかけられた。



「すいません、大丈夫ですか?」



夢なんじゃないかと思った。
ぶつかったのは先輩だった。


「あ・・・・・。」

先輩が、

「書類、散らばっちゃいましたね。本当にすいません。」



先輩が私を見ている。



言葉が出なかった。横顔や後ろ姿を見ることに慣れ過ぎてしまったらしい。それが今は先輩が私を真っ直ぐ見ている。きっと初めて見た真正面からの先輩。

私が固まっている間に先輩はテキパキと散らばった書類を拾い上げ、ファイルにキチンとしまった。


「立てますか?」

先輩がしゃがみこんだ私に手を差し出した。私が恐る恐る手を先輩に預けると、先輩はニコリと笑って優しく立たせてくれた。先輩の手は大きくて少し骨張っていて温かかった。


「はい、どうぞ。」

私に先生の書類が渡された。

「ありがとうございます・・・。」


あまりにも先輩が真っ直ぐに私を見るから、恥ずかしくて下を向いてしまった。お礼を言うだけで精一杯。チューどころか笑うこともできない。

先輩は私が先生の机の上に書類を置くまで待っててくれて、私が職員室を出ようとしたら、どうぞ、と言って戸を開けてくれた。先輩って紳士なんだ。


「それじゃあ僕はこれで。」


私は黙って頷く。絶対印象よくないよね・・・


「ばいばい。」

先輩はひらひらと手を振って帰って行った


私はその場に立ち尽くした。


「〜♪・・・・あれ、どしたのひかりちゃん。」

「ティ、キ先生・・・。」

「ちょっと忘れ物。あ、書類ありがとね・・・

ってひかりちゃん!?」

「なんですか、」



「なんで泣いてんの。」



「へ?あ、あれ・・・?」


気付いた時にはもう涙が後から後から出てきて止められなかった。先生は明らかに狼狽しているし、ここは職員室の前だし、そもそも泣く意味が分からない。分からないのに、

涙が止まらない。


先輩と話せたことがそんなに嬉しい?


泣くほど?


今、ほんの少しだけ先輩と一緒にいただけで先輩のいろんなことが分かった。後輩の私にも敬語を使ったり、戸を開けてくれるくらい紳士。手は少し骨張っていて暖かい。笑顔は相変わらず素敵で、声はちょっと高くて、私が感じたすべてが先輩だった。


私は先輩の何も知らなかった。知らないことが多すぎて、不満にも思わなかった。

それが今、少しだけ先輩を知ってしまったのを始点に、もっと、もっと先輩のことを知りたいと思ってしまった。



―満足のラインを下げんなよ。



全然、満足なんかじゃないよ。


「・・・せんせぇ」

「どした、」


先生が優しく私の頭を撫でる。まるで泣きじゃくる子供をあやすみたいに。


「私、先生の言葉の意味分かった・・・。」

「どうだった?」

「全然満足できない。もっと沢山・・・沢山先輩のこと知りたい。」


ずっと満足してると思いこもうとしてた。臆病な自分を見なくていいように蓋をしてたんだ。


「そっか・・・

一歩成長したな。」



これが私の本当の
片思いの始まりだった。




檸檬愛玉

甘酸っぱいよ、先輩。



――――――

なんか連載みたいになっちゃった。
一応切なめが目標。

タイトルは
レモンアイギョク、と読みます。

大須の屋台にある飲み物の名前です。その商品の下には‘甘酸っぱい初恋の味’って書いてあります。


季さーん!!(店長)


すごく美味しいです。



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