罪と呼ぶなかれ





 夜中に食べるラーメンはうまいというのでうまいラーメンを食べるために日付の変わる頃を待つ、かくして夜鳴き蕎麦、支那ソバ屋である。少年探偵はラーメンが供されるまで羽織り半纏の前をしっかりと閉め、屋台に据え付けられた木の長椅子に座った足をすりあわせた。春、かどうかは怪しいが、桜らしき薄紅はつぼみだ。真っ赤なのれんを抜けて吹く風は寒風、夜は出歩くにはまだ寒い。そのような中で、寸胴鍋からもうもうとのぼる白煙を前に待つ時間は、少年探偵をして胸をときめかせるものがあった。少年探偵は少年であるがゆえ、夜道をひとりで出歩くのは非行、しかし少年である以上に少年探偵であるがために、こうした一種の非日常はよく肌になじむ。屋台の親父が置いてくれたラーメンどんぶりを前に、彼はにこにことして箸を割った。いつもならばとうに床についてしかるべき時間帯だ。申し訳程度のチャーシューと、向こうが透けて見えるくらいのワンタン。しょうゆ味のスープからは、しっかりとした豚骨の味が――これをやるために仕込んだのだろうか。少年は、割烹を脱いで隣に座った屋台店主に尋ねた。
「いぜんやっていたことがあるのかい」
「なにを」
「ラーメン屋台」
「どうだろうねぇ」
 答えながら、屋台店主は蒸気で湿った髪を後ろになでつけた。
「夜。それにチャルメラか。ラーメン屋台を引く……音におびきよせられて、ふらふらと近寄ってきたお客さんは、なにかおそろしいめにあうってのはどうだ。ラーメン屋台はカムフラージュで、大鍋に仕掛けが……ううん、店主が湯気の向こうで……なにになっていたらびっくりするだろうねぇ」
「そういう悪だくみの話じゃなくてさ」
 少年探偵は中華麺を飲みこんでから言った。
「変装とか。ほら、乞食に化けて偵察したりするでしょう」
「ああ、なるほどねえ。おれは器用だからねぇ、変装ならそりゃあなんでもなってやるとも」
 言いながらどんぶりに胡椒を振り、ざっくばらんに混ぜてから箸で景気よくすする。
「うん、うまいうまい。おい坊や、ありがたいことを教えてやるがね、なにごとも経験ってのはしておくもんだぜ。どんなに無関係に見えても役に立たないことはないからね。きみの敵がどれほどの芸をものにしているか、ちょっとは想像してみるがいい」
「そりゃいいや」
 少年はれんげでスープを一口飲むと、りんごのようなほっぺをほころばせた。
「うん。たしかにきみは芸達者だね。盗みなんてのはやめて、ラーメン屋でもじゅうぶんに食っていけるんじゃないの」
「ふん、そいつは結構なほめ言葉じゃないか」
 ラーメン屋台の親父――少年探偵の敵――つまるところの怪人は、「たしかにおれはなにをさせたって一流だからな」とどんぶりをかたむけてスープをすすり、自作のラーメンを再びうんうまいとほめた。

 ここには少年探偵と怪人がいる。いつからかはわからない。すでに曖昧模糊として、湯気で煙った屋台から、夜道の向こうを覗きこむようなものだ。屋台の明かりに照らされている間だけ輪郭のあるものは、片方が子供で少年探偵、もう片方が大人で怪人でラーメン屋台の店主でもある。怪人自身は彼が怪人であったころからもうずっと顔のない怪人であったから、「これからうまい夜鳴き蕎麦でも味わいにいこうじゃないかね」と言い出せば、じつにそのとおりの役を演じきれてしまうのだ。
 少年探偵は探偵と同時に少年でもあるからには、食欲と好奇心をくすぐられては乗らざるを得ない。ゆえにこのような場面が相成った。怪人が路地傍でにわかにチャルメラを吹いて、さみしい電灯の光にどこか遠慮がちに尻を照らされているラーメン屋台を見つけたときも、そういうことかと思ったものだ。無人の屋台へ当然のように入って、麺をゆではじめても、少年には何ら不思議ではなかった。怪人の芸達者具合については先に述べたとおり、不思議があるとすれば、いつから計画を練って仕込みをしていたかという点くらいだ。

「きみが腕によりをかけているあいだ、僕も想像くらいはしてみたさ」
 少年探偵はいくらか熱のもどった指で半纏の襟を整えた。
 少年探偵の師匠――つまるところの名探偵があつかってきた犯罪者の中には、怪人のような者が少なくなかった。最初から犯罪者だったわけではない手合い。平凡な一般市民、どころか人並み以上のことはできるのに、なににもなれずなにも手につかず、すぐに飽きてころころと職を変え住居を点々とする類いの人間。『××××はどんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。』と、そう記憶されているのは誰のことだったか。
「もしかすると、きみもそういう手合いだったころがあったのかもしれないね」
 名前のない少年探偵が言うと、顔のない怪人は、ふんと鼻を鳴らした。
「そういう連中は、一生を捧げるに足ると思うようなものに出会っていないのだ。いいや、出会ったとしてそのものを、『犯罪』そのものを魅力に感じてしまうなんてのは、このおれの考えとはとても合わないね」
 それに、と怪人は割り箸の先端をコツコツと鳴らした。
「きみたちが気づかないだけで、おれがすでに全国展開のラーメン屋をやっている可能性は考えないのかい」
「それで、道楽で夜鳴き蕎麦の屋台を引いてるって?」
「うん」
「盗みと両立させて?」
 怪人は、話しながらおかしくなってきたのか、ウフフと笑みをこぼした。
「おれならそうする。退屈だろうからね。道を究めちまうなんてのは、行き着くところまでたどりついてしまうなんてのはつまり、そういうことだ。おれならそうするよ」
ラーメンで世界を掌握する。志が大きいのかどうなのか判別のつきがたい言葉だが、ひとたびやると決めればやるのだろうなと感じるのもまた事実。少年探偵は唇をへの字に曲げた。からになったどんぶりの底、輪を描いて飛ぶ龍と目が合う。
「そんなら応援してあげるよ、ラーメンのほうならね」







20230401 乱歩作品のラーメンどんぶり発売決定に寄せて。

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