百年の夢うつつ・夜





 それは、言ってみれば「卵と鶏どちらが先か」というような問題だった。その町には十月三十一日になるとハロウィンが訪れる。魔物、魔女、幽霊……ありとあらゆる夜の住人が、どこからともなく町に姿を現すのだ。
 その町の人々は来たるハロウィンのため、十月になると準備にいそしんだ。巨大なカボチャの中身をくりぬいた、巨大なパンプキン・キングを広場に構えるのは決まって男たちの仕事だ。女たちは衣装の仕立てや当日の料理の手配で手一杯。子供のことにまで気をかけていられない。その子供たちはというと、今年は何に化けるのかを熱心に話し合っている。どの年も一番人気は吸血鬼伯爵のようだ。
 こうしてハロウィンを迎える用意を整えた彼らは十月三十一日を待つ。
 その日人々は魔物の目から逃れるために、魔物の仮装で身を隠すのだ。それが町の古くからの伝統だった。
 しかし、町で変人と名高いボタン売りはこうも言う。

「戯れに化物の仮装をした、というのがそもそもの始まりなのかもしれんよ。人々の仮装を見た魔物たちは、ここには仲間が住んでいると勘違いしてしまった。そして仲間を引き連れ年に一度町にやってくるようになった。彼らは古い友を訪ねるがごとく、町の戸を叩くのだ」
 人間と魔物、どちらが先にハロウィンを始めたのか。
 今となっては「卵と鶏」の問題と同じように、問題の解決は望めない。
 それだけ古く、町に根付いた風習だ。

 時が来ると町の人々はハロウィンの足音に耳をそばだてる。
 人々はもちろん魔物の扮装に身を包んでいる。だから、誰が人間でどれが魔物なのか、それは本人以外に誰も知らない。
 怖がるのが嫌ならば怖がらせる側に回るのが人というものだ。人間でいたいならば戸を閉めて内へ篭もれ。夜闇に徘徊する彼らは等しく異境のおぞましい怪物であり、昨日明日と肩を並べる隣人なのだ。彼らは言う。


「トリック・オア・トリート!」

 陽気な挨拶が街路で唱えられ始めると、一夜限りの客人は招待せずともやってくる。
 ドアベルが鳴ったなら、小気味良いノックがドアを叩いたならば、住人にできることはせいぜい三つだけ。一つ、ありったけの菓子でお引き取り願うか。二つ、酒をふるまって飲み明かす。三つ、あるいはつっけんどんにつっかえす。
 最後の選択肢はあまり賢明ではないとされている。連中ときたらまるで加減を知らない。「いたずら」と称して何をされるのやら、わかったものではないからだ。
そんな「いたずら」もご愛嬌で済まされてしまうのが、この町のハロウィンだった。彼らは彼らなりのルールを守って振舞った。
 町中に狼男の遠吠えが鳴りわたる。喧声はとめどなく夜を揺らした。


 でも夜が明ければ元通り。霧深い通りの灯りも、スライムの這ってぬめる路地裏も、昨夜の乱痴気騒ぎが嘘のように町は平穏を取り戻す。人々も心得たもので、さっと片づけを済ませてしまうと、午後からはそ知らぬ顔で日常に復帰してしまう。
 そうしてハロウィンは闇夜と共に地球を廻る。それが済むと、どこか彼らの住むところで来年の十月三十一日まで眠りにつく――そう伝えられてきた。
「悪い子供の所にはハロウィンがやってきて、寝床に連れて行かれちまうんだ」
 大人は子ども達にその存在を伝え、怖がる姿を見て自分たちもそんな時期があったと思い出す。こうしてハロウィンの伝統は受け継がれてきたのだ。


 ――しかし、時は変わった。

 時代はそう、科学!

 科学技術が目覚しく発達し、電灯のまばゆい光線によって闇はどんどん駆逐されていった。古臭い伝統など打破してしまえ。世界は回線でつながる。画一的な都市の形こそ理想。
 洪水のように押し寄せる時代の前に立たされたのは、あのハロウィンの町でも同じだった。
 暗闇の友人は、科学という神の名の下に徹底的に否定される。大人も子供も口を揃えてこう言った。


「そんなものはいない! 見えない! 存在しない! 非科学的だ!」

 科学の神万歳!
 かくしてハロウィンも表舞台から引退せざるを得なくなったのである。




「――酷い話だ」
 怪人は彼らの話に同情を示した。
「いやまったく。俺たちゃ昔からあいつらとうまくやってきたってのによ。わかってくれるかい」

 野卑な物言いで答えたのは、菅笠をかぶった案山子だ。
 その周りには南瓜頭、並んで包帯男、魔女、人狼、吸血鬼……廃列車の見慣れた座席は今晩に限って超満員だ。座席にあぶれた者は列車の床に腰を落ち着け、或る者は寝そべっている。足を踏み出そうものなら、誰かしらの触手なり尻尾なりを踏みつけることになりそうだ。
 そいつらが皆口々に話をするものだからうるさくてかなわない。
 そんな中、怪人は少年に向かって偉そうに指図する。
「オイ、君、どこかに九六年ものの貴腐葡萄酒があったろう。あれを持ってきたまえ」
「そんなもの知らないね。大体、僕をあごで使うなと何度も言っているじゃないか」
 ――そもそも、お前が言っているのは何世紀の九六年の話だ。

 向かい合う席の反対側の怪人を睨みつける。
 強く出たいところだが、少年のすぐ足元で眠っている半獣半人の手前、どうしても小声になってしまう。怪人一人ならまだしも、本物の怪物に囲まれて平然としていられるほど肝が座っている少年でもない。
 少年は噛みつきたい心を抑えて怪人に迫る。
「怪物を集めてどうする気だ。何を企んでいる」
「ナニ、苦労話を肴に一杯やるだけだ。それに何度でも言うがおれが連れ込んだわけではないのだよ。こいつらが勝手に集まってきただけだからね」
 だからこれはなり行きだと怪人は言う。
 そうだ行きがかりだと酔っぱらい南瓜が高らかに宣言する。これを受けて怪物たちの歓声とも喚声ともつかぬ声がワーッと上がる。すると後ろから強引に、ミディアムレアに焼けただれた腕が少年の肩を抱いた。少年は自分の引き吊った頬がヒクヒクと動くのが分かった。怪人はそれを見て愉しそうに嘲笑する。こいつの前でだけはみっともなく叫び声を上げたりするわけにはいかない――その一心だけが今の少年を支える全てだった。

 林の奥に放置された廃列車に住む怪人、それがこの男の正体だ。
 そしてこの場所は――奴は「忘れられた空き地」などと気取って呼んでいるが、何のことはない。言ってみればただのゴミ捨て場だ。
 何の役にも立たない(片方だけの下駄だの駄菓子の空箱だのが何の役に立つんだ?)あっても始末に困るもの(ヱレキテル光宙儀って何だ?)ばかりが列車の中に所狭しと押し込められている。
 こうした我楽多集めは別段、奴の趣味というわけではないらしい。怪人の言によると「時代に忘れ去られ」「誰にも顧みられない」「我楽多同然の遺物が」「流れ着く」のだそうだ。
 そして何とも如何し難い話だが、少年もそうやって流れ着いた一人である、悲しいことに。『少年探偵』である少年は『怪人』と同じく今の世に寄る瀬がない。少年とてもゴミ捨て場の我楽多に他ならないのだ。

「今夜はハロウィーンの夜じゃないか。西洋風にのっとって、行くあてのない彼らと一晩のカーニバルを演じるとしようじゃないかね。エ? 少年」

 少年の足元に丸くなっていた獣人がワギャンと一声、悲鳴を上げた。少年もすんでで出てきた声を飲み込む。見てみると、獣人の尻尾を踏むものがあった。杖の先、腰の曲がったおばあさんが黒い頭巾を被っている。紫色の液体を少年に勧めてくる。鼻先に突きつけられた瓶に、とっさに少年は顔を背けた。この中の液体、ものすごく強烈な臭いだ……。
「飲んで忘れようよオオオォォ」
 しゃがれた声でおばあさんが笑う。
「せっかくだから君も参加したらどうだね」
 怪人の愉しそうな顔が少年にはただただ憎々しい。とてもじゃないが飲みたくない。
 そこで少年は他所に話を振った。
「どうしてまた忘れてしまったんでしょうね」
「なんだって?」
 反応したのは黒頭巾の後ろ。服だけが人間の形に浮いている。きっと幽霊か透明人間だ。
「町の人たちですよ。毎年お祭りしていたわけですよね? なのにいきなりあなたたちの存在を信じなくなるんですか」
「坊やにはわからんのか」
 そう言ったのは全身蔦で巻かれた植物男だ。

「科学という宗教はあまりに強大だった。科学風邪が流行するとな、すぐには効果は現れん。けどな、ゆっくり深刻な病へと移行していく。我らのことを伝える者が年々減っていく。しまいには、わしらの存在を信じる者がいなくなる」

 彼の言葉を受けてハロウィンたちは口々に言う。

「酷いわ」「わしらは悪くない」「やつら薄情だ」「寝過ごしたのよね」「百年」「人間たちはあの甘美な夜を忘れたのか」「起こし番が寝坊したんだ」「たった百年」

「「百年ぽっちで忘れてしまうなんて!」」

 ハロウィンたちは感極まったのか、おーいおいと悲痛な泣き声を上げる。

 何が百年ぽっちだ!

 ……と言いたい自分を少年は必死に押さえる。
 彼らにとって、
「彼らにとって百年は一夜にも等しく、瞼を閉じれば過ぎてしまうものなのだから」
 と、怪人が少年の思考を先読みした。

「しかし少年探偵君、それは我らにとっても同じことではないのかね?」
「……余計なお世話だ。怪人め」
 現実と幻想との間に流れる時間の差。それはどこへ行っても同じことだ。百年の眠りから覚めたハロウィンたちはまた地球のどこかへ彷徨い出でる。そしてどこかの地でまた事も無げに物語の続きを始めるのだろう。
 少年が、怪人が、現実を夢見るように。




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