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架空の日記

(2014/03/30)

架空の人間の日記が先日、2冊目を迎えた。
「私」とはもう6年あまりのつき合いになる。代筆者たる私としては1冊の日記帳の完結は非常に感慨深いことであり、なにか特別なことをしたがっているのかもしれない……たとえば、誰かに完結の事実を報告する、であるとか。
「私」はあまり多くを語りたがらず、日記の記述もひどく個人的であるから、その内容については言及しない。
ただ、少しだけ私と「私」について誰かに話したいだけなのだ。

何から書いたものだろうか。
ここで記述している私と架空の「私」は別の人間だ。少なくとも、そのようになっている。私は代筆者であって「私」はイコールではない。しかし私のどこかに「私」という著述者と彼に付帯する世界が息づいていることを強く感じる。それはおそらく日記というプライベートを共有するごく親密な友人という関係がそう感じさせているのだろう

私自身には日記を書く習慣がない。ひどく飽き性で、日記など3日と続いた覚えがないほどだ。
にもかかわらず、架空の人物を「私」に据えた日記が完結したというのは不思議である。もっとも、私に毎日書く根気があるはずがなく、一週間に一度、長いときでは一月に一度程度の「日記」であった。
日記の日付は自分で書き込めるようになっている。書かなかった日が空白として残らないというのがここまで続いた理由の一つだろう。

飽き性の私にとって、日記帳の空白ほど恐ろしいものはない。「日記を書かなかった日」が目に見えて残っているというのは一種の強迫観念を引き起こし、空白が蓄積すればするほど書きづらくなっていく、という体験は、万人に共通するものだろうか。

なぜ書き始めたのか。
よく覚えていない。
何気なく買った日記帳に、戯れで書いたものが今日まで続いた、というのが真実であると思われる。

少し情報をまとめておく。
私は便宜上「私」のことを「彼」と三人称することがあるが、これはあくまで便宜上でしかない。
彼は日記上で自分の身の上について語ることがほとんどない。だから私が彼について知ることは、日記から読み取れるわずかなものでしかない。
「私」の性別は流動的で年も定かではなく、容姿もその限りである。
暮らしは一人である。
光線に弱いため、夕方から夜にかけて星摘みの手伝いをしている。そのため両手はいつも黒く煤けていて洗えども落ちない。欠けた星をこんぺいとうの瓶に入れて、灯り代わりに飼育している。
首だけの男を抱え、首から下の身体を探す旅に付き合わされる、という夢をよく見る。彼は時折その旅を日記に記している。


……あまり話しすぎると気を害されるかもしれないので、このあたりに止めておく。
今の私にわかることがいくつかある。
この日記がいつ終わるとも知れないこと。
1冊の日記帳を埋めるのに6年近くかかってしまったから、おそらく次も同じだけかかるだろうこと。
それまで私は「私」をはじめとしたあらゆる他者を内包し続けるであろうということ。

私たちは新しい日記帳を気に入っている。
ペンは1冊目から使い続けているものと同じ型。消せないインクで書く。――これは私たちのちょっとしたこだわりだ。
平生の私は何度でも訂正のきく鉛筆文字を好んで愛用するが、書かれた過去は可変であってはならない。
だから、私と「私」のためだけに書かれた日記は、消えない文字で書かれる必要がある。
今のところはそれで問題ない。次の6年も、おそらくそれでやっていけるはずだ。


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