深夜25時半の逃避行(釘)


ワンライ再掲載。

幼い頃、家族でエレベーターに乗った時に取り残されたことがある。どこまでもエレベーターが下がっていくような気がして、一生出られないのではないか。そんな孤独感を、10年ぶりに経験している。東京の人の多さ、血なまぐさい現場、寮生活。こちらでの生活が軌道に乗った瞬間、それらが塊となって鉛のように胸にのしかかる。
「……はっ」
胸が潰れるような苦しさに目が覚めた。時計は25時半を指している。このまま逃げ出してしまおうか。極力音を立てないように寮のドアを開ける。
「ちょっと、どこに行くのよ」
「野薔薇…?」
野薔薇が私の手を掴んでいた。さっきまで隣で寝ていたはずなのに、強い視線でこちらを見つめていた。

◇◆◇

「で、どうしてこんな深夜に一人で出歩こうとしたの」
ローテーブルに座ると野薔薇からマグカップを渡された。ほわりと湯気を立てる中身はホットミルクで、ちびちびと口に含むとほんのりとハチミツの甘みが広がった。
「なんかこう、いきなり胸がきゅーっとなって苦しくなったというか」
「ほう」
「家に帰りたくなってしまって」
野薔薇の生い立ちの手前、こんな発言をしてしまって良かったのだろうか。マグを両手で包んで目を逸らす。
「うっそ、それってホームシックじゃん!!早く言ってよ」
「ごめんね、心配かけたくなくて」
「毎晩魘されてたのはそういうことだったのね」
ずず、とマグをすする彼女を前に余計申し訳なくなった。もっと早く言っていれば部屋も変えてもらえたのかもしれないのに。視線を落とすとぎゅっと野薔薇が私の手を包み込んで、じっと私の瞳を捉えた。
「じゃ、明日買い物行こ。私があんたの家族の代わりにはなれないのは重々承知。でもたまにはぱーっと、気分転換しなきゃね」
「ほんと……!?じゃあ私ポルジョの下地が欲しい」
「あはは、素直でよろしい。わがままが言えるならまだ元気ね。あんたの場合、溜め込みすぎ厳禁」
マグの中身が無くなった頃には胸のつっかえも消えていた。私には新しい仲間がいる。大丈夫、やっていけるよ。深夜の逃避行は辞めて、明日に備えて寝よう。


「おやすみ」


これは私と野薔薇が、まだ出会って間もない頃の話。





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