俯いてなんていられない (硝)
「九十九さん。私一回就職しようと思います」
「就職するも、呪術師の道へ進むも、君の自由だ」
九十九さんの海外出張に同行させてもらった時に思わず口走っていた言葉。慣れない言語、母国で当たり前のことが通じない、文化の違い。呪術師の家系に生まれ育ち、外の世界を知らないまま成長してしまったことに衝撃を受けた。このままではいけない。一度、レールから外れてみるのもありだろう。九十九さんだって海外に飛び回っているし。伝統がああだこうだとうるさい周囲の反対を押し切って大学に進学してから4年目。この選択を激しく後悔することになる。
◇◆◇
「――今後のご活躍をお祈り申し上げます」
5月の東京、丸の内。メールを確認し、思わず舌打ちをする。私は神か?呪術師だぞ。この時期は就活生が多いからか、ヨウトウがうじゃうじゃと漂っている。「ざんねーん」足元に這ってきたヨウトウをヒールでぶちぶちと潰していると「なんだ、元気そうじゃん」――振り返るとかつての級友、硝子がいた。
「どうしてここに」
「この辺で悟たちが任務でね。付き添い」
艶のある黒髪、身体のラインにぴったりと沿うニットと、ほんの少しの隈。高専にいた頃とは随分と様子が変わったけれど、程よく力の抜けた硝子の雰囲気は相変わらずだった。
◇◆◇
「で、どうなの。就活は」
「どうも何も、全滅。なんでおっさん相手に愛想売ってこんな仕打ちを受けないといけないの」
近くの居酒屋にて。大人っぽい格好をした硝子と、就活用のシャツに毛先がほんの少し明るくなったポニーテールの私という組み合わせは、周りからどう思われているのだろう。自分の立場をごまかすようにレモンサワーを煽る。
「そのまま呪術師に戻るって手もあるけど、あんたは頑固だからそれはなしか」
「ここまできたら、ね、ははは」
けたけたと意識して高い声で笑う。大丈夫かな。私、上手く笑えてる?
「まあ名前は頑張りすぎるところがあるから、無理なくやりなさいよ」
だん、とグラスを思わず音を立てて置いていた。
「こんなに頑張ってるのに報われないなんて理不尽すぎる!!!!」
あ、どうしよう。例えるならば、コップの水が溢れだしてしまったような。ずっとずっと耐えてきた不満や不安がぷつりと切れて、気付けば硝子に怒鳴りつけていた。
「あら、名前さんご立腹。レアねえ」
「ごめん、つい」
社会はあまりにも理不尽だ。呪術師が裏で命がけで呪霊と戦っているのを知らずにのうのうと生きる者の集まりだ。エントリーシートに「特技:呪霊を倒すこと」と書くことも許されなければ、学生時代に力を入れたこと、幼少期のエピソードとして語ることも許されない。もしかしたら私は、この世界では生きにくい人間に分類されるのではないか。本当に私のあの時の選択は、正しかったのだろうか。
「焦る気持ちも分かる。けど、頑張ってるのに報われないと思うのは、どこかがずれている可能性もある」
「ずれてる・・・?」
「そう。そこか取り繕っているところとか」
「呪術師であることはめちゃくちゃ隠してる」
「それが原因ね」
硝子がししたり顔で言う。呪術師であることを隠すのは当たり前のことではないのか。
「幼い頃からの性格はその人の本質を表すって言うからね。一度呪術師である自分のことも含めて自己分析し直すのもあり」
「硝子、マイナビに就職できるよ」
「それだけ冗談が言えるならまだ折れるには早いよ」
思わずふっと笑ってしまった。幼少期はとにかく活発で、人前で歌ったり踊ったり。小学生の頃はずっと武術のお稽古。何かをやり通すことがたまらなく気持ちが良かった。中学生の頃は必死で勉強して、高専に入ってからは毎日硝子や悟、傑とこうして冗談を言い合っていたっけ。九十九さんの海外出張も無理を言って通してもらったけれど、こういった交渉力や好奇心に負けて思わず動いてしまうところも、きっと私を構成する一部。少しだけ、光が見えたよう気がした。
「硝子、ありがとう。もう一度頑張れそうな気がする」
「さすが。立ち直りが早い」
硝子が珍しくウインクをした。これもなかなかレアだ。きっといいことがありそう。
「次会う時は、高専でね」
「待ってるよ」
社会で経験を積んで、高専に戻る。これが私のキャリアプラン。この世は想像以上に理不尽だけど、それを分かった上でおとなの呪術師として振舞える日を夢見ている。
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