▼仁丸←赤、切原視点


「丸井せんぱーい」

これで3度目になる呼び掛けをする。さっきより少し声を張ったつもりだけど、目の前の天使は一向に起きる気配がない。いや、それだけならいいのだ。全然いいなんなら少し嬉しいくらいだ。じゃあ何が困るって問題はその寝姿にある。とりあえず、上半身裸。因みにその脱がれた服は、テーブルの上で俺が死に物狂いで解いた英語のプリントを雨水でお釈迦にするという偉業を約数時間前に成し遂げた。大変遺憾である。遺憾の意味は知らないのである。しかも上半身裸に飽き足らず、下に履いているパンツのウエスト部分は最近急激に痩せこけた丸井先輩のまっちろい肌を隠せずにいる。上半身も勿論まっちろいのだが、何と言うか、緩いウエストのパンツから除くボクサーパンツのあのゴム的な部分が見えて少し生地も見えてその感じがすばらしくエロティック。パンツがゲシュタルト崩壊おこしそうっす。丸井先輩はいつからこんなにも無防備に色気を垂れ流すようになったのだろうかけしからん。副部長語で言うところの「たまらんスマッシュ!」て気分だ。

下心全開で丸井先輩に見入っていると、少しだけ開いた可愛い可愛いお口から「んっ」なんて声が漏れた。少し苦しそうな、それでいてどこか焦れったいような…(恍惚)
そんなセクスィーボイスを直で聞いちまった俺は興奮と同時に何故か物凄い罪悪感に追われている。何故だ、何故こんなにも犯罪臭がするんだ。罪悪感にまみれながらない頭をいつもより速く回転させるけれど答えなんかでない。そもそも、俺が今こんなにも罪悪感を感じているのも目の前の丸井先輩が超絶エロティカルなのも、全て数時間前の出来事まで遡る。




深夜1時、やっと片付けた英語のプリントを睨みながらベッドに入った俺の枕元で携帯が鳴った。着信音は幸村部長の「皆動きが悪いよ」。聞くたびにトラウマが甦るこのボイスは、勿論俺が好きで設定したわけじゃない。出来れば今すぐ変えたいくらいだけど、本人の意思を無視して着信音を無理矢理変えさせたのが張本人である部長なんだから逆らえるわけがない。恐怖政治まじ怖ぇっす。
そんなことを考えていたら電話にでるのを忘れてしまっていた俺は慌てて通話ボタンを押す。

「もしもーし」

掛けてきた人物はディスプレイに映し出された名前で確認済み。
こんな夜中に珍しいなー、なんて思いながら返事を待つ。が、一向に返ってこない。
外は雨が土砂降りで、屋根に当たる雨音と、電話越しでも聞こえるうるさいくらいの音に少しいらっとしながらも、相手の声を聞き逃さないよう神経を集中させる。そのせいか、時間が過ぎるのが物凄く長く感じた。電話の相手がやっと口を開くまでに20分はかかったんじゃないかって思うくらい。実際には5分程度だが。

『…俺、』

雨音に掻き消されそうな声で呟かれた声。その弱々しさに自然と眉間に皺が寄った。

「どうしたんすか、こんな時間に」

少しだけ、声が震えそうになる。心臓が締め付けられた感覚に襲われた。嫌な予感しかしない。一番、嫌な。

『濡れた、家まで帰んのだるい、入れて』

声が震えてるとか、こんな時まで俺様かよとか、何があったのとか、家族寝てるから静かにしてとか、言いたいことも考えることもたくさんあったけど、それより先に体が動いた。
散々しごかれて鍛えられ続けてる脚と反射神経にテニス以外で感謝する日が来るとは。スピードスターもびっくりなスピードで階段を駆け下りて玄関のドアを開ける。

立っていたのは電話の相手、もとい、丸井先輩。

「どーぞっす」
「おじゃまします」

そう言うと、一応家主である俺なんか無視してさっさと部屋まで行ってしまった。まったく無駄のない動き。あれ、ここ俺ん家だよな?全く遺憾である。遺憾の意味は以下略。
スタスタ歩いてった丸井先輩の後を追って俺も部屋に戻る。途中で脱衣場からバスタオルを取るという気の効いたことが出来ちゃう俺は流石柳さんのダブルスパートナーだけあると自分でも思う。ただし濡れた廊下は面倒くさいから拭かない辺りめんどくさがりの丸井先輩や仁王先輩の後輩だともすごく思う。

「先輩、とりあえず拭いてください。びしょびしょっすよ」

「んー、あかやふいて」

「…はいはい」

ベッドに腰掛けて俯いたままの丸井先輩の(普段はふわふわだが今はぺしゃんこの)髪を優しく拭く。いつもするシャンプーやら香水やらお菓子やらの匂いが雨で全部消えてしまっていて、何だか勿体ない気がした。まあ口にはださねーけど。
ただひたすら拭くだけじゃ何だか気恥ずかしくて、けど話しかけれるふいんき(何故か変換できない)でもなくて。それでも、気まずいなーって思うよりも悔しさや悲しさが溢れてくるのは、きっと丸井先輩のずいぶん薄くなった肩が小さく震えてるからなんだと思う。

粗方拭き終わって、ようやくふわふわ感を取り戻した髪は、それでもいつもよりしなだれててやっぱり雨の匂いがする。

「先輩、大丈夫っすか?」

聞いたのに、あまり大きな意味はない。と、誰にも責められていないのに繰り返し自身に言い聞かす。ほんの一瞬した鼻を啜る音とか、未だ小さく震え続ける肩とか、そんなのが気になったから聞いたわけではない。泣いてるのかもとか思ってない。ただ、なんとなく、聞いたのだと。

「ん…なんでもねえ」

そんな俺のなんとなく軽い気持ちで聞いたと見せ掛けて実は結構意を決して聞いた質問は、あっさりとスルーされしまった。そもそも、丸井先輩はあまり人に頼りたがらない性格だ。そんな人がこんな夜中にいきなり訪れること自体ザ!世界仰天ニュースであって、それってつまり少しは俺のこと頼りにしてるのかなって思っちゃってる。あれ、俺何言いたいんだろ。まあとにかくもうこれ以上は何を聞いても答えてくれないと踏み話題を変えることにする。

「とりあえず、シャワー浴びてくださいっす。そのままだと風邪引きますよ」

「やだ寝る」

「えっ」

「おやすみ」

俺の発言はまたも華麗にスルーされた。しかし部内では常に下っ端扱いされてるせいで、俺のライフポイントはこのくらいじゃ全く減らない。
スルーした丸井先輩はというと、何かの糸が切れたようにどさりとベッドへ倒れ込んでしまった。その際、濡れたままだと気持ち悪いのか上の服を無造作に脱ぎテーブルの上へ投げた。テーブルの上、いや今となってはびしょ濡れの服の下、そこには俺が必至になって解いた英語のプリントが居たが、きっともう見るに耐えない姿へと変貌しているだろう。頑張って解いたのに、とひとりごちても当の丸井先輩は早くもすーすーと規則的な寝息を立てて夢の中。下が濡れてるのは気持ち悪くないんだろうか、なんて考えながら先輩の顔を見る。ずっと俯いていて気づかなかったけど目尻も瞼も頬も真っ赤になってる。散々泣いて擦ってを繰り返したみたいな。

普段強気でポジティブな丸井先輩がこんなになる原因は、俺にはひとつしか思い浮かばない。


仁王先輩。

最近目に見える程痩せたのも、しょっちゅう疲れた顔してるのも、たまに泣く寸前みたいな表情するのも、全部全部あの人のせい。あの人にしか出来ない事。
悔しさとか悲しさとか嫉妬心とか羨む気持ちとかがぐちゃぐちゃに混ざって、けれど叫んだりは出来ないこの状況に奥歯を強く噛んだ。








それから俺もソファで寝て、今に至る。


「丸井先輩」

いい加減声だけで起こすのは無理だと判断し体を揺する。あくまでも軽く。すると、どれだけ呼んでも起きなかった丸井先輩の意識が浮上し始めた。やっぱ起こすには物理が一番だな。

「…あかや?」

寝起きの舌足らずな感じがとてつもなく可愛いですハイ。朝勃ちとかいう男の子特有の生理現象はとっくに収まってる筈なのに、アラ不思議。俺の赤也くんが元気くんになり始めている。同時になんだか居たたまれなくなって、ミュージカル的にこの表現は駄目か、とか意味わかんないことを考えるくらいには現実逃避したい。

しかし目の前にはしっかり目の腫れた丸井先輩がいる。

漢、切原赤也。
好きな人の前ではきちんとかっこつけたいお年頃っす。

「おはよ、丸井先輩」

よし、いつもより少し落ち着いた俺を演出出来るような声色を出せたはず。頑張れ、俺。理性と紳士を総動員するのだ。

「…なんであかや?いるの?」

相変わらず舌足らずな先輩。更に小首を傾げるというあざと小悪魔オプション付き。パターンM!俺の理性ATフィールド全開!そんなわけで、心の中では対使徒用並に強力なATフィールドを全開にしつつ、表面上は先輩を全力で心配する風な後輩を保つ。

さて。今から俺がすることは二つ。
1つ目は、何故今俺と先輩がこういう状況に陥っているかを説明すること。
2つ目は、昨日何があったのか聞き出すこと。これは本当に慎重にいかなければならない、一歩間違えばうちの魔王様に社会的にも物理的にも抹殺されかねないからだ。

やることはまとまった。

赤也、いっきまーす!


「とりあえず、先輩どこまで覚えてます?」

「赤也はいなかった」

「んー、何があったかは知らないっすけど、たぶんその何かがあった後、うちに来たんすよ。で、軽く髪拭いたと思ったらベッドに倒れ込んで寝ちゃったっすね」

俺が小学生にもわかるくらい簡潔に説明すると、丸井先輩は「あー」とか「うん」とか言いながら何かを考えてるような仕草をしてる。意識は完全にはっきりしたみたいだけど、どうやら本当に覚えていないらしい。なにそれスゲェ。

「…大丈夫っすか?」

「おう、とりあえず迷惑かけたってことはわかった。つか今何時?」

いつもの丸井先輩に戻ってしまった。いや、これも充分可愛いけど、さっきまでの教育によろしくない可愛さも新鮮でいろいろ大変だった。

「10時半っすね」

「!?やば、朝練!」

「ちゃんと連絡しといたっす。じゃなきゃ俺も怒られるし」

「あ、まじか…ありがとな」

「っす」

くそおおおおおお!!!この人なんで今日こんな可愛いんだよおおおおおお!!普段ありがとうなんて言わねーだろおおおおおお!!!幸村部長がデレっデレになるのも我が子のように可愛がるのもでろでろに甘やかすのもわかるよ!天使だよこの人!あ、小悪魔なんだった!
そんな天使に甘い我らが部長様は俺が電話で丸井先輩と一緒にいる旨を伝えた時、電話越しなのにわかってしまうくらい殺気がプンプンしていた。この歳にしてチビるとこだった。まじ部長様怖ぇっす。世間じゃテニス強豪校のエースだなんだと持て囃される俺も、実際その強豪テニス部の中じゃヒエラルキー最下層のペット扱いだ。
さあ、俺がいかに部長を恐れ尊敬しているかがわかったところで、計画の2つ目を実行することにする。

まだ少し考えてるような丸井先輩を横目に、今出来る限りのナチュラル感を精一杯醸し出して聞く。

「あの、昨日、何かあったんすか?」

「は?昨日?……何もねーわ」

はい、ダウトー!明らかに目線泳ぎましたよね!この嘘つきさん!

「何もないのに、雨の中傘も持たずに、夜中に、しかも泣きながら、俺ん家来たんすか?」

めげずに聞いた。後で確実にシバかれるだろうワードチョイスで刺激することも忘れない。
言いながら丸井先輩をじっと見ていると、くりくりした目を少し見開いて俺を見てきた。口元は盛大に歪められている。
嫌なこと聞いちゃったなあ、てどこか他人事みたいに思いながら視線は外さずに見つめ続ける。

暫しの沈黙後、先輩はやっとその重い口を開いた。

「仁王がさあ」

出だしは、予想通りあの人の名前。最初から薄々そうだとは思ってたけど実際直接名前聞いちゃうとなんつーか、殺意沸くな。
丸井先輩をあんなに沈めれるのは今のとこ仁王先輩しかいなくて、俺はそれを何食わぬ顔で見てることしかできない。叶うことのない恋だってその度に思い知らされるしキリキリしたその痛みにはまだ耐えることが出来ない。いっそのこと仁王先輩なんて消えちゃえばいい、何回も思ったし今も思ってるけど、そうなったら一番悲しむのは丸井先輩なわけで。好きな人の悲しむとこは極力見たくないわけで。
俺はいつまでもただ尊敬してなついていると思われてるポジションから抜け出せない。

そんな俺の物騒で失礼で自己嫌悪まみれの思考回路を断ち切るように、丸井先輩は続きを話し出した。

「最近、すげー香水の匂いさせてくんの」

一気に歪む顔。
ああ、せっかく整ってて綺麗なのに。

「でさ、俺、知らない女の子とキスしてんの見ちゃってさ。しかも3回も」

ははっ、と、自嘲気味に乾いた笑いを漏らす先輩。俺は何も出来ず何も言えずただただ相槌を打つ。

「で、昨日そのこと話したの。したらなんかあいつ、優しくっ…し…っ」

「先輩」

話し出した時には既に張ってあった薄い水の膜が、耐え切れなくなってぼろぼろ零れる。泣くのを止めようとしてるのか、ぎゅっと掴んでた布団でごしごし擦ってますます赤くなる目を見てたら、なんでか抱き締めたくって抱き締めた。
少し前まで布団にくるまってたにしては低い体温が、昨日の土砂降りといつも体温の低いあの先輩を思い出させる。

きっと、口が滑ったのはそのせいだ。

「なんでそんなことされてんのに、仁王先輩に拘るんすか」

どうして俺じゃ、駄目なんですか。言ったら駄目だそれは駄目だってわかってるのに、一度落ちた言葉は止まらない。少しずつ少しずつ溜まってたものが今じゃ自分でも驚くくらい大きくなりすぎて、止めたくても止まらない。

「仁王先輩は、丸井先輩以外にも簡単に好きって言ってても、それでも先輩は、仁王先輩がいいんですか」

丸井先輩の体がびくりとした。その反動を使って離れようとする先輩を一層強く抱き締めた。
今は、逃がさない。

「……わかってるよ、そんなの。仁王と付き合ってたって、あいつが俺だけを見てる時間なんてほんの少しなのくらい。とっくに、気付いてる…っ」

「ならなんでッ」

「俺は!俺はっ…仁王じゃなきゃだめなのっ。こんなに、人、好きになったの、あいつが初めてだから…!」

どう足掻いても勝てねーなって改めて思った。希望も可能性も微塵もない。俺が入る隙間もないし、入るなんて許されない。
なら俺は、どうしたらいいのだろう。目の前で好きな人泣かされて、それでも好きな人はその人に執着して。俺は、俺には何が出来るんだろう。
空っぽの頭は丸井先輩が絡むと限界値ギリギリまで働いてくれるけど、今回は流石に無理だった。もう、考えるのも疲れてきた気がする。


それなら、じゃあ、せめて、

「もう少しだけ、このままでいさせてください」















...
こーいう話は好きじゃない




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