ハッピーバレンタイン ■しおりを挿む
俺ん家の隣には、パティスリー・クサカという小さなケーキ屋がある。
そこはいわゆる“街のケーキ屋さん”で、おじさんの作るハニープリンが安くて美味いって評判だけど、この辺りに住む人たちしか利用しないような普通の店だった。
なのに今では、わざわざ遠出してきてまで通う客が大勢いる。
その原因はこいつだ。
「あ、和真くん」
学校帰りのこの時間。
俺がパティスリー・クサカの前を通りかかると、表を掃除しているそいつに必ず声を掛けられる。
中性的な容姿と緩く縛った長い栗毛が特徴的なこいつの名前は、久坂怜(くさか れい)。
まだ27歳だというのに、先月いきなりこの店にやって来て、オーナーパティシエの座に就いた男だ。
見た目はいいわ、物腰は柔らかいわ、作るケーキは美味いわで、老若男女問わず多くの人間を虜にしている。
そのおかげでパティスリー・クサカは、規定の“閉店時間”より前に、商品が完売することによって閉店を迎えるようになってしまった。
「おかえりなさい。今日も寒いですね」
隣家のガキである俺にまで敬語で話し掛ける、癒し系の美形パティシエ。
その実態は、この店にある秘伝のレシピを奪いに来た産業スパイ……ではなく。
実家のケーキ屋を継ぐため、いくつかの有名洋菓子店で修業して帰ってきた、ただの孝行息子だ。
つまり、俺からすれば幼馴染みの兄ちゃん。
というわけで俺は、昔からこいつのことを“怜兄”と呼んでいる。
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