The Frog in the Well | ナノ


の向こうから、小さな影が歩いて来る。
ひょろひょろと頼りない、まるで怪我を負った小鳥のようだ。もしも強い風が吹いたりしたなら、恐らくは、ばったりと地面に倒れてしまうだろう。もちろん、風など吹きはしないのだけれど。

曇り空の下の空気は、とても冷たい。


The frog in the well knows nothing of the great ocean.


「紅茶、」

不意に短い単語が耳に入った。それは常に、見事に、完璧な発音だ。

「え?」
「こぼれてるわ、お皿に」
「あ、わ、うそ」

じょろじょろとソーサーの上に落ち、香りのいい小さな湖を作る茶色い水。赤毛の少女は慣れた手つきでそれを片づけると、「それと口、あいてるわよ」と加えた。こんな風に、リリー・エヴァンズはいつも律儀に云って聞かせるのだ。彼女特有のよく響く高い声と、正しい発音をもってして。
一方のナマエ・ミョウジは、表面上はまじめに返事をしながらも、頭では別のことを考えているような子供だった。目の前の世界に対する意識が、いつも人より弱かった。何かひとつ気になることが頭を占拠しはじめると、彼女の存在はまるでゴーストのように透明化した。
リリーはとても賢い子供だったので、短いつきあいながらもそれをよく知っていた。だから、「何か悩みでも?」などと聞くのは野暮で愚かであると思っていたし、そもそも多かれ少なかれ人には悩むべき事柄があるのだから、その質問は不毛だと感じていた。

「ねえねえ、リリーさんよ」
「(……さんよ?)なあにナマエ」
「今朝方、なんか不思議なものを見たよ」

そもそもリリーによれば、この相手の話に順路や脈絡を求めるのは、まったくの間違いなのである。
不思議なものとは何なのかとリリーが尋ねると、ナマエは眉をひそめてこう返答した。

「リーマス・ルーピン」


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