marigold | ナノ


耳に不快な音が飛び込んでくる。

広場でもらった赤い風船を擦るような、母の田舎にある鉄門を押し開けるような……さもなきゃ図体の無駄に大きなルームメイトのいびきでもいい。とにかく今すぐ走って行って、騒音の源をしこたま殴ってやろうと思わせるような音。要するにマリゴールドは、睡眠を邪魔されたことにひどく腹を立てていた。
思わず手にはバット。
それも釘がいっぱい打ち込んである、とびきり素敵なやつ。


1.ふつうじゃない


バットを持って乗り込むと、ゴキブリの如く床にはいつくばっている長身の男と目が合った。
隕石でも落ちたのか、彼の腹の下の床板からはゴボゴボと紅茶のような色水が溢れ出ている。バナナ色の敷布は見るも無惨に変色していた。
あれは確か、高いラグだったのに。

「おはようマリゴールド、悪いけどエマージェンシーなんだ」

そのへんにあるシャツ取ってくれる?と真顔で云われると、毒気も眠気もどこかへ失せた。
……オーケイ。
バットを壁に立てかけ、ゆるゆると散らばっていた洗濯物を拾う。彼のクローゼットには洋服が一枚も入っていない。本来そこにあるべきはずものは、いつも大抵はソファの上か、床の上。そうでもなければこんなふうに、別の用途に回された結果捨てられてしまう運命だ。

「なんなのこれ。水道管、破裂したの?」

適当に引っ掴んだシャツを渡そうとして、マリゴールドは思わず手を止めた。同居人のお気に入りのバンドロゴが入ったシャツだった。去年ギグを見に行った帰りに、あやしいダフ屋からわずか2ポンドで買った品。そのバンドのヴォーカルを真似て変な帽子を被っていたっけ……。
ぼうっと懐かしんでいると、あっという間に手からひったくられた。ストップをかけようとした時にはもう遅かった。

「話せばすっごく長いんだけど。ねえ、この床と水道管の修理代って家賃から引かれるかな?」

シャツはみるみる茶色に変色し、メモリーもろとも穴の中へ詰込まれてしまった。例え綺麗に洗濯ができたとしても、再び肌に直接触れることを想像したくはない。
教えようかと考えあぐねたが、結局タイミングを逃した。幸いにも彼はまだ気付いていない。仕方がない、これは事故だ。止める暇を与えなかった彼の方に100パーセント非があるのだ。
とりあえず気付かなかったふりをしよう、と心に決める。

「……知らない、ただの居候だもん。家賃のことならシリウスに聞いて」
「僕もただの居候に近いんだけど」
「お隣さんがあなたのことシリウスのヒモって云ってたよ」


べこん、と小気味良い音が室内に響いた。


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