marigold | ナノ



マリゴールドには自分のマグがある。この家に来たときにシリウスが買ってくれたもので、丸くてつるつるしたオレンジ色のマグだ。彼女はいつも必ずこれでお茶を飲んだし、これからもそうするだろうと思っている。
でも果たしてそれが『良いこと』なのかどうか、最近どうも、よく分からない。

「これ温暖化とか絶対ウソだよな……。信じねえ、断じて俺は信じねえよ」
「それスネイプ先生も云ってた。プロパガンダがなんとかって」
「前言撤回、やっぱ信じるわ」

隣でシリウスが悪態をついている。自分よりはずいぶん大きい腕、指先もごつごつした木の枝みたいだ。
忘れていたわけではないが、彼は大人の男性である。知った顔をするつもりもないが、そういう男性の暮らしの中に自分のような存在のニッチがないことは分かっている。
気づいたところで何もできないし、この状態をうまく伝えられる言葉も知らない。それでも、ふと沸いた小さな疑問は、まるで油性のインクの染みのようにいつまでも脳の片隅に居座り続けている。

「ねえ、先生とはいつからの知り合い?」

向けられた顔は、いつになく歪んでいた。

「……あー……セカンダリー・スクールから」
「ふうん。どんな感じだった?」
「どんな感じってお前、洒落にならないレベルだよ。毎日がちょっとしたデスマッチっつーか」
「いやいや、スネイプ先生じゃなくて」

今にも始まりそうな壮大なスペクタクルを遮って、マリゴールドは少し笑った。

「あなたのこと。シリウスってどんな子だった? 優等生、それとも問題児? 友達はいっぱいいた? 先生に怒られたことある? ガールフレンドは? どんなスポーツが得意だった?」

そんな一度に聞くな、と笑いながらもシリウスは指折り答えた。

「えーと……まあ勉強はわりとできたよ。問題児だったのは80%くらいジェームズのせいだから。バカやって、夜中に寮で騒いで通報されたりな。でも校長が話の分かるオッサンで、仲良くなったから放校にはされなかったんだよな」
「ワオ。若者のあるべき姿ね」
「フットボールクラブにも入ったけど、サボってばっかいたらある日コーチが俺を呼び出してさ、『おまえはクビ!』」
「ガールフレンドは、どんな子だったの?」

彼の目が泳いだ、気がした。
じっと押し黙っていると、観念したように息を吐く。その仕草が、マリゴールドには何だかひどく罪深いものに見えた。

「はじめて付き合ったのは背の高いブロンドの、歌がうまい子。聖歌隊に入ってた。でも長く続かなかったよ、彼女敬虔なクリスチャンだったもんだから。俺のすばらしい素行に辟易したんだと」
「へえ」

その次は赤毛の子(「間違ってもリリーじゃねえぞ」)。次はフランスから来た上級生、次は背が小さくて字のきれいな子、学校のバンドでドラムを叩いてた子……と、よどみなく飛び出してくる女の子たちに始めはなかば呆れていたマリゴールドだったが、次第に胃のあたりがムカムカするのを感じた。自分から尋ねたのに。
もしかしたら泣くかもしれない、あと数秒したら。
その理由もマリゴールドにはよく分からなかったし今ここで泣くのも怖かった。ただ雑然と襲ってくる何かにとうとう耐えられなくなって、思わず、勢いよく、

 

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