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「まだお互いの能力なんか、何にも知らなかったときにさあ」

誰へでもなく、なまえが唐突にそう云った。空間へ向けてだ。

「私のこと触ったパクノダさんが、すっごい顔して遠ざかって行ったの。あれは忘れらんない」
「……あんた、見かけによらず変態だもんね」

マチはいつもの動じない表情で頷く。二人の乗っている革張りソファの、どこから盗んで来たのか知らないが、やたら立派なその足下では、シズクが寝転がったまま雑誌を読んでいる。アジトはほの暗く、外が雨のため湿っぽかったが、これまたどこから盗ってきたのか高価なエアーコンディショナーにて、快適な温度が保たれていた。そのすぐそばで、大人しく座っていたカルトが顔を上げた。

「パクノダって誰?」
「あ、カルトは会ったことないか。前の旅団メンバーなんだけど、団長もいたころの」
「ふうん。死んだの」

無邪気にそう尋ねるカルトに、死んだよ、となまえは簡潔に答えた。そういうものだ。

「で、パクはあんたの何にそんなにドン引きしたって?」

それがね、となまえは、さも恐ろしいことを話すかのように眉をひそめる。尋ねたわりにマチはさして興味もなさそうな声色で、シズクの意識はといえば雑誌の連載コミックに向けられている。未だに話が呑めていないらしいカルトだけが、行く先を興味深そうに窺っていた。なまえはそんな唯一の清聴者に、「対象に触ると記憶が見えるって念なんだけどさ」と手短に説明する。

部屋の空気がほんの少し、変わった。雨が止んだのだ。

「草原を歌いながら駆けまわる、金髪の女の人」
「はあ?」
「あと、赤毛をクルクルさせた女の子と犬とか。健気な子鹿とか象とか、かわいい人魚なんかも」
「それなんの記憶なの」
「私の史上最悪のトラウマ」

つまりは、こういうことらしい。

なまえは流星街ではなく、ごく平和な一般家庭の生まれだ。しかし幼少の頃より、彼女はたいそう爛れた性格であった(父親はそんな彼女を”可愛いいたずらシマリスちゃん”と呼んだ)ため、周囲と馴染めない日々を送った。何せ、外でベースボールをしたり、自らを着飾って色恋に心をときめかせる代わりに、殺人鬼カードのコレクションに夢中だったような子供なのだ。そんな彼女を”矯正”しようと、母親は彼女に女の子らしいフリルのついた可愛い洋服を着せたし、ナニーはことあるごとになまえを椅子に縛り付け、楽しさと夢いっぱいの子供向け映画を、何時間も何時間も見せたのだった。

「……そんな仕打ちに耐えきれなくなって、家出したのさ。私」
「え、そんな悪いことなわけ、それ?」
「なんでそういう家庭でなまえが育つのかが分からない」
「かわいそう」

それが、めいめいの感想だった。少なくともカルトには共鳴できる部分があったらしく、深く頷いてくれた。かわいそう、がなまえのどの部位に向けられているのかは知らないが。

「それ話したとき、彼女もそう云ったんだよ。かわいそうにねえって。さぞ辛かったでしょう、泣いていいのよって――あれ何の飲み会だったかな。私たちすんごい酔っ払ってて、グデングデンだったんだけど」
「酔ってたのかよ」
「そう、あれはほぼ酔った勢いだね。後にも先にも、あんなに感傷的になった夜はなかったもんね」

彼女が死んだその夜よりも。

笑いながら記憶を巡らせるなまえの足下で、いつの間にか体を起こしたシズクが雑誌を閉じた。小さな風が彼女の前髪を揺らす。

はたから見て特別、なまえがパクノダを慕っていたと思っていたものは誰もいなかっただろう。女性の少ない旅団内での、他愛もないつきあい。全員がそうだった。パクノダ本人すら、酔った席での発言など覚えていたかどうかは分からない。今となっては調べる術がないし、大して興味もなかった。

「パクノダさんってさ、私、なんかママみたいですごく好きだったんだよ。分かるかなあ」
「分かんないよ。あたしゃ母親なんかいないしね」
「あたしも」
「おお、そうだった……カルトは分かるよね?」
「僕、その人知らないんだけど」

マチが少しだけ懐かしそうな顔をした。

それきり、パクノダの話は出なかった。




ガールズ(?)トークin蜘蛛
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