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天烈な本を買うお客がいらっしゃる。それも規則的に、決まって三日に一度きっかり。近くへ越してきたのか、少し前からとつぜん訪れるようになり、どうにも気になって仕様がない。もうふた月以上も続いている。
 男の客である。
 「奇天烈」とは、当店においての専門的な、ややもすれば少々アブノーマルな類の書籍のことで、子供向けの棚にある某大百科ではないし、かと云って倒錯的な内容というわけでもない。むしろ、たいがいが健全すぎるがゆえに少々、ずれている。どこから見つけ出すのか、『数学的見地からみる家庭料理・西欧編』など在庫として置く店も店である。しかしそういった好事家こそが、小さく古めかしい本屋を支えているのだと、老いた店主は常々ありがたそうに語る。尤もな話だ。
 さて、そこはまるで世界の隙間のような建物なので、誰かがひとり這入ればまず通路がすっかりふさがれてしまう。したがって向こうの棚をひやかしにゆきたい場合は、「Pardon!」、または「Oh, pardon!」と、こうである。ところが、例の客がそこへ立とうものならば、だれもかれも人形のように黙して様子を伺い、はたまたクルリと背を向けてサッと退散してしまう。小さな町なので無理もない。余所者という観念である。おまけに、背もすらりとして逞しい、いわゆる典型的なCaucasoidというやつで、まるで絵画のようにきれいな顔をしているけれども、にこりともしないので、よけいに無機質に見えるのだ。人を怯ませる要素がある。たしかに、なるほど、無闇に大きいものは恐ろしい。
 けれども、その大きなひとが、寒くて暗い夜には凛とした鼻筋のてっぺんや、真っ白な指先をほんのり赤く染めているのを見てごらんなさい。どんなに体躯が立派でも、まるで小さな子供のようにとても可愛らしく、何より、うつくしいものだ。
 私は、美しいと、思う。
 きっと本質は、とても愉快な方なのではないかしら。店の戸が開いて、顔がのぞくだけで、ぱっと照らされたように心が楽しくなるもの。「内容は目では見えぬ」とキツネの子が云ったように、人は外から見た姿と、中との印象は、存外かけ離れていることが多いと聞く。なにより、いかにも謹厳実直そうな、まじめくさった顔をして、『頭痛のための正しいおまじない』などを耽読しているのだから。思わずこみあげてくる笑いに耐えるのには、いつも大変な苦労を要するのである。そうして本を小脇に抱えて、そっと出ていってしまう背中がどこかさびしげで、今度は愛おしくなる。私はときに可笑しく、ときに物足りなく、あるいは離れがたく思いながらそれを見送る。気になって仕様がないのだ。手元がお留守だと叱られてしまうのも承知のことで、彼がその場に在るだけで、どうしても意識をそちらへ向けてしまうのである。

「Pardon,」

 ふり返ると、なんとも深刻な二つの青い目がこちらをじいっと見ているので、困った。「失礼、そこの君」たいへんに困った。聞こえないふりなどしてみるが、一度視線を合わせてしまった今となっては、まったくの無駄である。どういうわけか、珍しく、彼の這入ってきたことにすっかり気がついていなかった。「少々尋ねたいのだが」「ええ、ええどうぞ、何をお探しです」「『ピグマリオン効果と犬の心理学』という本を」
 ほうら、今日も変てこな書物をお探しなのだわ。けれどもその題名に覚えがあったので、私はあやうく笑い出しそうになってしまった。どうにも気恥ずかしい話であるが、私は彼のためにと賢明に勉強をしたもので、今ではすっかりどの本がどこにあるのかを的確に答えることができた。件の棚は丁度、反対側に位置している。並べかけていた本を両手で持ち直すと、「ただ今お持ちします」「ああそれから」「はい」「君の持っているそれ」「はあ」「この本も、一緒に」そうして腕の中から、するりと静かに、一冊だけ抜き取られたその本は、やはり彼にはどこか「奇天烈」であった。触れた手は当然のように温度を持っていて、低くしっとりとした言葉と、外套から上品な石鹸の匂いがする。つやつやしたきれいな表紙の『星の王子さま』。
 お子様用に?と尋ねると、彼は少しばつが悪そうに答えた。「いいや俺が読みたいのだ」
 そのとき、また日の光がさしたように目の前がぱっと明るくなった気がして、こらえきれずに笑ってしまったら、なんだかもう、どのようにでもよくなってしまった。ああもう、もう私は、観念致しました。恥ずかしいと思いながらも嬉しいような気持ちに、ひどくどぎまぎとしながらも、その正体に見当のつくところがあった。気がついてみれば、なに、単純なことだ。きしんだ床の音が妙に耳について、私はいっそう笑いながらも真っ赤な顔で、ようやっと返事を絞り出した。
 彼はしばらくそんな私を、それはそれは不思議そうに見つめていたけれども、そのうち、いかにも照れくさそうに小さくはにかんだ。



そうだ愛を隠さなくては
hide your love away


ストイックすぎるところが好きです
09.1.31

 

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