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 リズミカルに回転する銀の四つ又を凝視していたら、その先をひょい、と差し出されてしまった。手首から指先までのラインは程よく茹で上がったスパゲッティよろしく、何だか艶めかしく色気がある。ほとんど手入れなんかしていないのだろうに、天然物とはかくも、恐ろしいものなのですね。

「なまえー、ほらなまえ、口開けて」
「…欲しかったわけじゃないんだけど」

しかし引き下がる気などさらさらない彼は、ご丁寧に形の良い唇を開いてお手本を見せながら、フォークをゆっくりと更にこちらへ近付ける。トマトのとてもいい匂いを拒否できるはずもなく、大人しく口に含んで咀嚼。白ワインの風味が残る、シンプルで彼好みな味付けだ。
 満足げにフォークを引っ込めるフェリシアーノ君を、隣に座っていたフランシスさんは何だか非常に白けた顔で眺めていた。

「何なのこれ、お兄さん当てられるためにここにいんの?」

帰っていいですか?と問われたので即座に首を振った。フェリシアーノ君と二人きりで食事なんて、飽きるほど繰り返している日常の一コマである。たまには刺激が欲しいのだ。誰か別の人の視点が。
 ごく素直にそう伝えたら、フランシスさんは輪をかけて白けた表情を作って見せた。白けたついでに白ワインも一口。

「…もうおまえら結婚しちゃえば。似合いだよ、お互い適度に無頓着な感じとか」
「あー無理無理!似たもの同士って続かないの」
「まあ、一般的にはそう云うけどなあ」
「前に一回試したけど、結局だめだったものね?」
「そうそう。俺たち付き合ってたの!」

でも四日でだめになったんだよねー。頷きながら、フェリシアーノ君はごく呑気に云った。

「ちがうよ、三日。フェリシアーノ君が浮気したんだよ」
「…まじで?おまえ最低」
「でしょ。だからわたしも浮気し返してやったんです。悔しいから」
「浮気って云ったって、なまえのはあれでしょ。ルートと一日デートしただけじゃん!」
「そうだよ。悪い?」

わたしはあなたと違って慎重なのですよ、だから、ほいほいベッドに他人を入れたりはしないのです。
 頬杖に顎を乗せながら、ふん、と鼻で笑ったら、フランシスさんがいよいよ呆れたように溜息を吐いた。もう勝手にしてなさい。そう云い残して、席を立ってしまったのだ。帰ったか、トイレか、それとも電話でもかけに行ったのかしら。どちらにせよ、取り残された二人の間にほんの少し、何もない時間が流れた。彼の顔を見る準備がまだできていなかったので、わたしは一つ向こうのテーブルの女の子を見ていた。

 「なまえさあ、まだ怒ってるの」

先に沈黙を打ち破ったのは、フェリシアーノ君だった。彼は静けさというものに特定の時間しか耐性がない。

「怒ってないよ。怒ってたら、こうやってほぼ毎日会ったりなんかしないもの」

くるくると細いスパゲッティを巻きつける。何度やっても彼みたいに綺麗に、色っぽい仕草で操れない。修行が必要だわ。忍耐。辛抱。抑制すること。どれをとっても目の前の彼には似合わないことだと思った。だってそれぜんぶ、自然じゃない。

「あのときは俺のことだらしないって、なまえすっごく怒ったね」
「でもあなたが女の子好きなのはしょうがない、わたし、そこまでフェリシアーノ君のことコントロールできないし」
「どうして?」

ようやく見据えたフェリシアーノ君の両目は、まっすぐ刺さるようにこちらを向いていた。俺と付き合って、と云ったときですら、こんな顔をしていなかったように思う。あれは確か深夜の酩酊した車中だったから、自分もひどく浮ついて二つ返事で了解したのだ。四日で破綻するのも無理はないと思った。そんな程度だった、お互いにひどく傷ついたり失望して別れたわけじゃない。だからこうしてまた会える。
 少なくとも、わたしはそう思っていた。

「してよ」

彼はやけに切実な目で云った。

「何かまずいことをしでかさないように俺を見張って。ずっと隣にいて、俺のこと見てて。俺、自分じゃ上手にブレーキかけられない。犬みたいに誰かが躾けてくれないと、もう治んないと思う」

 カチン、と置いたフォークが無機質な音を鳴らす。このテーブルのお皿はめいめい空っぽなのに、彼の背後に見えるウェイターは会話の流れを察して食器を下げに来ない。厨房に控えているであろうドルチェも。フランシスさんは、一体どこまで行ったのだろう?本当に、帰ってしまった?
 手持ち無沙汰になった右手に、フェリシアーノ君の手が触れた。子供の体温みたいに熱い。

「常識の、範囲で考えて。そんなの無理」
「無理じゃないよ。なまえがその気なら」

襲ってくる罪悪感の向こうにある自制心というやつが、ここから逃げろとサイレンを鳴らす。セクシーな、彼の長い指が伸びてきているのが見える。綺麗な手。ずるい。もうすぐで限界を飛び超えて、こちらにやって来る。意志がぐらつく。震えが走る。
 フェリシアーノ君の顔が一瞬、泣きそうに歪んだ。

「そうやって相手に決断を委ねるの、よくないと思うわ…」

世にも情けない声が出た。敗北だ。こうしてまた、振り出しに戻されてしまうのだ。結局わたしを操縦しているのは彼に他ならない、そして永遠にそれは逆転しない。そんなこと百も二百も承知でいつまでも彼の傍にいるのだから、フランシスさんが呆れるのも仕方がないと思った。似たもの同士。もう外部の刺激なんて、なんの意味もない。
 わたしは外のテラスに見える後ろ姿にごめんね、と謝った。

 テーブルを挿んで、彼の指先がようやく頬に到着。わたしはスパゲッティみたいにくるくる絡めとられ、彼に食べられてしまう。


Flying
Spaghetti
Monster

イタちゃんは天然タラシのスーパー伊達男
09.11.09

 

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